第51章 【第四十六話】かたちにならないもの
師匠は答えなかった。
代わりに煙草を捨て、新しい一本を取り出す。
火をつけてから、ぼそりと言った。
「お前の母親に頼まれてた」
「……え?」
「『私に何かあったら、この子を守って』とな」
呼吸が止まった。
「――母が?」
「ああ」
「いつ……」
「昔だ」
煙を吐く。
「ついでに、『娘には言うな』とも言われた」
「……」
「長ぇ間、黙って守ってやってたんだ。感謝しろ」
「師匠、どうして今――」
「うるせぇな」
そこで初めて、師匠が真正面からこちらを見た。
その目が、ほんの一瞬だけ揺れたように見えた。
「気が変わった。それだけだ」
その時、後ろから靴音が近づいた。
黒い制服の男の一人だった。
「クロス元帥。時間です」
師匠は煙草を落とし、靴の先で踏み消した。
外套を翻して歩き出す。
「師匠」
呼び止めた。
聞きたいことは、まだいくらでもあった。
父のこと。
母がその後どうしたのか。
なぜ言わないと約束したのか。
そして、この人がどうして今日、その約束を破ったのか。
けれど、師匠は立ち止まらなかった。