第36章 2on1
ユカリはビルの影から、ふわりと身を躍らせた。
轟の死角。
完全に視界から外れた真後ろから、一瞬にしてその距離をゼロにする。
「!」
背後に迫る尋常ではない気配に、轟がようやく気づく。
速い。
防ぎきれない。
だが、ユカリは攻撃するのではなく、轟の肩を、ぽんと優しく叩いた。
本来の演習であれば、この時点で「戦闘不能(撃破)」の判定だ。
「轟さん!」
遅れて駆け寄る八百万の声。
轟は反射的にバックステップを踏んで距離を取った。
かろうじて致命傷は避けた、という形だ。
しかし、ユカリは追撃することなく、いたずらっぽく微笑んだ。
「今の」
ユカリは轟を見つめて笑う。
「八百万さんが教えてくれたよ」
轟の動きがピタリと止まる。
「え……?」と呟く轟に連動するように、八百万も目を見開いた。
「さっきからずっと」
今度は、八百万を見て優しく笑う。
「轟くんの死角教えてくれてた」
静まり返るグラウンドβ。
轟は、先ほどまでの自分の戦闘中の記憶を必死に思い返す。
確かに、激しい氷結の音の裏で、八百万の必死な声が聞こえていた。
右後方。
死角。
移動経路。
すべて、彼女は的確に指示を出してくれていたのだ。
頭では確かに聞いていた。
けれど、自分の中でその情報を「使う」という思考に至っていなかった。
「轟さん」
八百万が一歩前に踏み出し、轟を見つめる。
その瞳に怒りはなかったが、同じヒーローを志す者としての真剣な光が宿っていた。
「わたくし達は二人です。……決して、一人ではありません」
静かだが、重い言葉だった。
観戦席で、相澤が深く頷く。
「そこだ。あいつがプロとして現場に出る前に、気づかなきゃならない壁だ」
出久も、切島も、麗日も、全員が真剣な表情で轟を見守り、彼の課題を正しく理解し始めていた。