第32章 退院
「あ……」
あの日のことが頭によみがえった。
突然、ユカリが敵の本命だと聞いた。
何が起きたのかわからないまま、それでも一秒でも早く仲間へ知らせなきゃと必死で走った。
ただ、それだけだった。
耳郎は気まずそうに頭をかき、視線を逸らした。
「いや……でも結局間に合わなかったし……」
声が小さくなる。
「助けられたわけじゃないし……」
どこか歯切れが悪い。
自分がしたことを誇れる気がしなかった。
あの日。
ユカリは連れ去られた。
それは変わらない事実だから。
そんな耳郎の表情を見て、ユカリは静かに首を横へ振った。
「違うよ」
穏やかで優しい声が、耳郎の耳に届いた。
耳郎はゆっくりと顔を上げる。
次の瞬間。
ぽん。
頭にふわりと温かな感触が乗った。
「……え」
思わず目を見開く。
ユカリの手だった。
少しだけ身をかがめ、優しく微笑みながら耳郎の頭をそっと撫でている。
「私はね」
静かな声が続く。
「あなたがあの時、すぐに動いてくれたことに感謝してるの」
耳郎は言葉を失った。
ただ、ユカリの顔を見つめることしかできない。
「あの時、誰かが動かなかったら、みんなもすぐには動けなかったかもしれない」
その一言一言が、胸にゆっくりと染み込んでいく。
「だから――本当にありがとう」
そう言って、ユカリはもう一度だけ優しく耳郎の頭を撫でた。
その瞬間だった。
耳郎の顔が一気に熱くなる。
(なに、この人……)
心臓がどくん、と大きく鳴る。
(まじでなに、この先輩……)
優しすぎる。
あまりにも自然に、こんなことを言えてしまうなんて。
「……え…と…いや……」
何か返そうとするのに、言葉がまるで出てこない。
困ったように口を開いたり閉じたりする耳郎を見て、ユカリは少しだけ不安そうな顔になった。
「……ごめん。頭撫でたの嫌だった?」
「嫌じゃないです!!」
勢いよく立ち上がり、反射的に叫んでしまう。