第5章 【五条悟】勿忘草の悪魔 II**
夢で見た花だ。
青い花。
頬を撫でる風。
誰かが私の名前を呼ぶ声。
「……この花の名前って……」
「その花……勿忘草っていうんだよ」
「わすれなぐさ……?」
「そ」
五条さんは花の前にしゃがみ込み、青い花びらに触れるか触れないかのところで指を止めた。
「私を忘れないで、って意味の花」
私を忘れないで。
胸のどこかが微かに疼く。
私は何も忘れていないはずなのに。
忘れるような過去なんて、持っていないはずなのに。
どうしてだろう。
「五条さんは……」
聞いてはいけない気がした。
それでも、言葉は勝手に零れていた。
「何を、思い出しに来るんですか」
五条さんはすぐには答えなかった。
潮風が、白い髪をさらさらと揺らす。
夕暮れの海が、静かに光っている。
やがて五条さんは、ひどく優しい顔で少しだけ笑った。
「……大事な子」
五条さんの口からこぼれたその言葉を聞いた瞬間、潮風の音が遠くなった。
五条さんに、そんな顔をさせる人。
今でも、こんなにも大切に想われている人。
その人は、どんな人だったんだろう。
そう考えたら、抱きしめていたペンギンのぬいぐるみに、知らないうちに力がこもっていた。
知りたい。
でも、知りたくない。
その人のことを知れば知るほど、今ここにいる自分が惨めになりそうだった。
だって。
五条さんにそんなふうに想われているなんて。
羨ましくて、たまらなかった。
その人じゃなくて、私を見てほしい。
ふいに水族館での男の子の言葉が蘇った。
『お兄さんとお姉さんは、好き同士ってこと?』
そっか。
あの子は、もうとっくに名前を教えてくれていたんだ。
ずっと膨らみ続けていた、この感情の名前を。
私、五条さんが好きなんだ。