第3章 【伏黒恵】君に響くカンパニュラ**
もし、私がノートに『好き』なんて書いてしまったら。
ただでさえ色んなものを背負っている恵くんを、困らせてしまう。
それに、十年かけて築き上げてきた、この関係が壊れてしまうかもしれない。
彼が私に向ける、あの不器用で優しい眼差しが、戸惑いや憐れみに変わってしまったらと思うと――息ができなくなるくらい怖い。
だから、伝えられない。
声が出せても、出せなくても。
たとえ文字にできたとしても。
伝えるなんて、絶対にできない。
私がぎゅっとノートを抱きしめて俯くと、野薔薇ちゃんは「……はぁ、これだから拗らせ幼馴染は」と天井を仰いだ。
「ま、あんたがそこまでビビる気持ちもわからなくはないわよ。相手があの伏黒じゃね。……よし、決めた」
野薔薇ちゃんはベッドから立ち上がると、部屋の奥にある本棚へ向かい、ガサゴソと何かを探し始める。
戸惑う私の前に、「はい、これ!」と勢いよく差し出されたのは――キラキラした瞳の男女が見つめ合っている表紙の少女漫画だった。
漫画……?
どうして、急に?
私が表紙と野薔薇ちゃんの顔を交互に見ていると、野薔薇ちゃんはビシッと私に人差し指を突きつけた。
「今のあんたに必要なのは、恋愛脳よ! 家族だのなんだのうじうじ言ってたら、伏黒、他の女にソッコーでかっさらわれるわよ!」
『かっさらわれる……?』
私がノートに書くと、野薔薇ちゃんは力強く頷いた。
「あのね、関係が壊れるのが怖いなら、まずはその先にどんな幸せが待ってるのか、ちゃんと知りなさい!」
「これは私が厳選した恋愛の最高峰の教科書だから、今日の夜、部屋で隅から隅まで熟読すること! わかったわね!?」
有無を言わさない野薔薇ちゃんの凄まじい剣幕に、私はこくこくと頷くことしかできなかった。
手渡されたその単行本が、この後――私の心臓を爆発寸前まで追い詰める劇薬だとは知る由もなく。