第10章 霧の屋敷の裏側
帰りの馬車が大通りへ出ると、街は祭り前の準備で更に賑わっていた。
漂う飴を焼く香り。毒々しい爬虫類を吊るした屋台。大道芸人を囲む子ども達の笑い声。
ニナは吸い込まれるように景色へと視線を向け、馬車の窓から顔を乗り出した。
「……そんなに珍しいか」
隣から低い声が落ちた。
「!……申し訳ありません」
ニナは慌てて背筋を正した。
シルバは咎める様子もなく、薄く広がる灰色の雲を眺めた。
ゾルディックへ来て二年。
ようやく屋敷にも慣れ始めた頃だというのに、今度は公爵家へ嫁ぐ話が進んでいる。
いくら良縁とはいえ、負担が大きいのは事実だろう。
侯爵夫人として求められるものは、使用人とは比較にならない。
立場も責任も、人付き合いも変わる。
とんとん拍子に話が進みすぎた。
少し早すぎたかもしれない。
シルバは口には出さずとも、そう思っていた。
だが、窓の外へ目を向けるニナの様子を見て、シルバは内心で考えを改める。
この子はただ耐えることに慣れているだけではない。
本人にその自覚は薄いのだろうが、土台の賢さに加え、何より好奇心と向上心がある。
それがあれば、大抵のことは何とかなるものだ。
「ニナ」
「!……はい」
「結婚したからといって、変に遠慮する必要はない」
シルバは空へと向いたまま静かに続ける。
「困ったことがあればキキョウに話せ。あいつはああいう性格だが、面倒見は悪くない」
「……はい」
ニナは微かに顔を窺うようにシルバを見上げる。
「お前が思うほど縁というのは簡単に切れるものでもない。暇があったら遊びに来なさい」
ニナは少し驚いたように目を瞬かせる。
「結婚はお前ひとりでするものではない。家族が増えるだけと思って気楽にやれ」
「…………はい」
ニナの声が馬の蹄の音に溶けていく。