第21章 最後の小節
イルミは別の譜面を引き寄せた。
ヴァイオリンのパートだった。
歌から削った音を、そのまま上の五線へ移していく。
「上はヴァイオリンに渡す」
男が黙った。
イルミのペンが走る。
歌が上昇を始めるところまでは、昨日までと同じまま。だが、声にもっとも負担のかかる高音へ差しかかる直前で、その線が二つに分かれ、歌は低い音域へ降りる。代わりにヴァイオリンが、その頭上から本来の旋律を拾う。そして旋律が頂点を越えたところで、再び二つの旋律が重なった。
「ここで戻る」
イルミが譜面を叩いた。
「歌は下をついてきて。上の旋律はヴァイオリンが持つ。高い山を越えたら、また歌に返す」
男はしばらく譜面を見つめていた。
「……なるほど」
「変えるのはそこだけ。他は昨日のゲネプロと同じ」
イルミはヴァイオリンの譜面を譜面台へ置いた。
だが、今度は別のところから声が上がった。
「先生、お言葉ですが」
コンサートマスターだった。
すでにイルミの書き込んだ譜面を横から覗き込んでいる。
「理屈はわかります。しかし、この箇所を今からヴァイオリンに移すとなると――」
「何が問題なの?」
「その、今からでは新しい譜面に対応は難しいかと……」
イルミは奏者たちを見回した。
だが、誰とも視線が合わない。
「じゃあ、俺が弾く」
コンサートマスターが顔を上げた。
「……先生が?」
「うん」
「……ヴァイオリンで?」
「そう」
コンサートマスターは何か言いかけたが、結局、口を閉じた。
「一回やろう。ちょっとそれ貸して」
コンサートマスターは一瞬戸惑ったが、ヴァイオリンを差し出した。
イルミは受け取ると、肩に乗せた。