第21章 最後の小節
翌日、歌手と楽団員たちは再び王立劇場へ集められた。
予定されていた全体稽古は始まらないまま、舞台の上では歌手たちが小声で言葉を交わしていた。
将校役のテノールに何かあったらしいということだけは、すでに全員が知っている。
やがて扉が開いた。
イルミが入ってくる。
その姿を見つけた者から順に口を閉じ、散っていた視線がひとつの場所へ集まった。
イルミはそのまま指揮台まで歩き、譜面を置いた。
「二幕の合唱、構成を変える」
数人が息を呑んだ。
隣り合った歌手たちが顔を見合わせる。
イルミは構わず、合唱団へ目を向けた。
「将校役は、合唱から一人抜いて立てる」
今度は何人かがはっきりと顔を上げた。
後列では、隣の者に何かを尋ねるように身を寄せる者もいる。
「通し稽古はもうできない。明日本番でやれる人、いる?」
一瞬、誰も動かなかった。
「先生」
その沈黙を破って、一人の男が手を挙げた。
兵士役で舞台に立っていた男だった。
「私にやらせてください」
今度は、周囲の視線が一斉に男へ向いた。
「歌詞も台詞も入っています。立ち位置も見ています。できます」
声には緊張よりも、抑えきれない熱があった。
イルミは男を見た。
「決まり」
あまりに早い返事だった。
男のほうが一瞬、言葉を失った。
それから、少しだけ躊躇う。
「しかし……最高音だけが厳しいです」
「どこ?」
男は譜面を開き、終盤の数小節を指した。
「ここからです。出ないわけではありません。ただ、本番でこの高さをこのまま張るのは……。半音か一音、下げていただければ、確実に歌えます」
「それは無理」
イルミはすぐに答えた。
「曲全体は動かせない。今から調を変えたら、オーケストラも合唱も全部巻き込む」
男は譜面へ視線を落とした。
「では……ここだけ、声を軽くして――」
「いや。無理して出さなくていい」
イルミは男の譜面を取った。
終盤の数小節を目で追い、一度前へ戻る。
それからペンを取り、五線の上へ素早く音を書き始めた。
「ここまでは、そのまま」
ペン先が旋律を追う。
「ここから下げる」
「下げる?」
「うん。ここは三度下。ここから五度下にかな」
男が旋律を変えていくイルミの手元を覗き込んだ。
「ですが、それでは主旋律が……」
「なくならない」