第17章 探究者達
リハーサルを終えたその日の夜。
アパートへ戻ったイルミは相変わらずペンを走らせていた。
机の上に広げた総譜を辿りながら、今日のリハーサルで見えた課題を一つずつ思い返していく。
オーケストラは問題ない。
粗さは残るが、稽古で消える程度だ。
問題は歌の方だ。
第二幕の重唱。
昨日不安を口にしていたエレオノーラだったが、本番同様の通しでは一度も崩れなかった。問題はその先にあった。
テノールと声が重なった瞬間、旋律の輪郭が曖昧になる。
どちらかが悪いわけではない。
実際に声が重なって初めて分かる、声質の相性の問題だった。
イルミはペンを取り、伴奏を一声減らした。主旋律が自然に浮かび上がるための調整だ。
「……」
イルミはペンを走らせる。
一音下げる。
和声を書き換える。
書いては消し、消しては書く。
修正を何か所か書き加えるうちに、夜はさらに更けていく。
やがて静寂だけがイルミを包み込む。
ふと手が止まる。
部屋が静か過ぎた。
……いや、静かなのではなく整い過ぎている。
このアパートに来てからというもの、イルミは殆どを作曲に費やしている。
執事も用がなければ別室に控えている。この机の周りへ誰かが来ることは滅多にない。
それでも今夜は、どこか整い過ぎている気がした。
人の気配がすっかり消えた塵ひとつ落ちていない絨毯を見る。
……ゴトーが片付けたのか。
そう思った瞬間、昼間のことが脳裏をよぎった。
祖父のゼノとその直属の執事ゴトーが突然現れ、部屋を一通り眺めると勝手なことを言ってから、茶だけを飲んだ。
そして帰っていった。
イルミは睫毛を伏せると、ふっと息をこぼした。
「……来ただけかよ」
だが愚痴を言っても譜面は完成しないのだ。
絨毯から視線を外し、再び羽根ペンを取る。
生ぬるい風が微かに部屋の空気を揺らした。
イルミはもう一度総譜へ視線を落とす。
修正箇所を見直そうとページをめくった、その時だった。
「……?」
指先が止まる。
余白に、見覚えのない書き込みが残されていた。