第17章 探究者達
エレオノーラはアパートの一室で総譜を書き写していた。
インク瓶は何度も空になり、机の上には書き終えた束と、まだ手を付けていない束が高く積み上がっている。
カリ、カリ、と紙を擦る音だけが部屋に響く。
音符を書き、スラーを引き、強弱記号を書き写す。ほんの少しでも読めない箇所があれば、前の版を開いて照らし合わせる。また総譜へ戻る。また止まり、調べる。その繰り返しだった。
「……」
それでもペンを止めるわけにはいかない。
一日でも早く写譜を終えなければ、楽団員へ譜面を渡せない。
エレオノーラは小さく息を吐き、もう一度総譜へ目を落とした。
(……あ)
五線譜が揺れる。
瞬きをしても、細い線が滲み六本にも七本にも重なって見えた。
目を擦ると少しだけ焦点が戻り、ほっとしてまた書き始める。
インクを浸し、音符を一つ。二つ。三つ。
「……あっ、違う」
書き終えたばかりの音符が一つずれている。
ため息をつき、ナイフでインクを削り取る。紙を傷付けないよう慎重に。
削っては書き直し、また削る。
その時間だけで数分が過ぎていく。
ふと視線が前へ向いた。
向かいの机では、イルミが相変わらず一度も顔を上げないままペンを走らせていた。
イルミは休まないし、話しかける隙すらもない。
あの集中力がいつまで続くのか、考えるだけで息が詰まりそうだった。
エレオノーラは肩を落とすと無意識に漏れたため息にペン先が止まる。胸の奥に重く溜まっていた疲労が、少しの出口を探した。
「……先生」
気づけば、口が開いていた。
イルミは答えない。
エレオノーラは小さく息を吐く。
アパートに通い始めて今日で三日目だった。
朝から晩まで総譜を書き写し続けても紙の山は少しも低くならない。書いても書いても、また次の束が机へ積まれる。
指の腹には固くなったペンだこが痛み、インクをつけるたびにじんと熱を持つ。
(……疲れた)
胸の奥でそう思う。
その一方で、目の前のイルミは何事もないようにペンを走らせ続けている。その姿が、今は少しだけ恨めしかった。
自分だけが取り残され、自分だけが限界へ近づいているような気さえした。
本当は違う。
それはわかっていた。
それでも疲れ切った頭は、自分の痛みばかりを映してしまう。