第16章 喧騒の交差点
船に乗る時には、財産も領土も置いていくことになる。
「私は、信用できる人間を大事にする」
全てを預けていくのだ。
「船や金なら失っても取り戻せる」
ライネルは真剣だった。
「だが、人はそうじゃない」
若い頃は分からなかった。
信用など当たり前に築けるものだと思っていた。だが現実は違う。
信用とは思っているほど簡単なものではない。まして人生を預ける相手なら尚更だ。
船も領地も、結局は人が動かしている。
自分がいなくなった後、その人間達をどう扱うのか。何を守り、何を捨てるのか。そこにその人間の本質が出る。
能力なら後から身につくが誠実さは違う。人を大切にすることも、信頼を裏切らないことも、教えられるものではなかった。
だからこそ、目の前の少女の存在が不思議だった。
心から信用できる相手など、一生に何人も現れるものではない。
ニナは膝の上で手を握る。
一月後には、この人は海へ出る。
何ヶ月も会えなくなる。
そう考えた瞬間――胸の奥が小さく軋んだ。
その感覚が何なのか、自分でもよく分からない。
ただ、次に会う時のことを考えるより先に、会えない時間がどれだけ続くのかが頭に浮かんだ。
ライネルは一瞬だけ迷うように視線を落とした。それから静かに手を伸ばし、ニナの小さな手を自分の大きな手に包み込む。
その指先にはいくつもの航海でできたであろう薄い傷跡があった。
「ちゃんと帰ってくるよ」
その言葉は約束というより宣言に近かった。
「ニナ」
ライネルはその名を静かに呼んだ。
「出港の前に、婚約の儀を交わそう」
「……はい、ライネル様」
ニナは小さく頷く。