第16章 喧騒の交差点
「ですがこのままでは写譜できません」
「だったら写譜師の方で清書しろ」
「……では、須らく判別不能箇所は確認させて頂きますよ」
その目は何かの覚悟を決めたような凄みを帯びていた。
「……」
「私に作曲はできません」
「ふざけるな。それじゃ自分で清書するより時間がかかるだろ」
写譜師は微動だにしない。
「仕方ありませんよ、先生」
急に戦闘モードに入った写譜師にイルミは応戦しきれず同じ主張を繰り返す。恐らく寝不足で頭が回っていないのだろう。
「前の版を見ればわかるって!」
「ダメです」
顔色を一切変えない写譜師にとうとうイルミが一歩後ずさる。
机の上では朝食のパンと卵料理から湯気が消え始めていた。
エレオノーラは小さく息を吸う。
「おはようございます」
明るく声を掛けると二人はようやくこちらを見る。
「状況は分かりましたわ」
エレオノーラは山積みの総譜に目をやるとキッパリと言った。
「私も手伝います」
「殿下?」
「幼い頃から楽譜は読んでおりますもの」
エレオノーラは総譜の1冊を引き寄せた。
「先生。ここは前の版ですとスタッカートでしたわね?」
「そう」
「ではこちらへ入れていきます」
エレオノーラは羽ペンを取り上げサラサラと点を打っていく。
写譜師の目が僅かに輝く。
「本当によろしいのですか?」
「ええ」
エレオノーラは微笑んだ。
「その代わり先生」
腕を組みながら片脚に体重を預けているイルミを見る。
恐らくイルミは昨日の晩餐会から着替えていないのだろう。上着も脱いだまま、シャツ一枚という気の抜けた格好だった。
体のラインを拾わない布地の下でも、その腰の細さだけは不思議と目につく。
「朝食を召し上がってくださいませ」
イルミは面倒そうに視線を逸らした。
だが反論は返ってこなかった。