第16章 喧騒の交差点
宮廷のサロンでは晩餐会がすでに始まっていた。
貴族たちは名名テーブルを囲み軽食をつまみながらワインを飲んでいる。
その中にはエレオノーラの姿もあった。
ワインを注がれたグラスを受け取り口をつけたその時。
「おお、イルミ=ゾルディック君」
後ろから朗らかな声が飛ぶ。
振り向けば、ルドルフ大王と数人の貴族達が集まっていた。酒が入っているのか、皆どこか機嫌がいい。
イルミは僅かに頭を下げる。
「いやあ、隣国の使節方がね、ぜひ君の演奏を聴いてみたいと仰っていてね」
周囲の貴族達も笑いながら口を揃える。
イルミは一瞬黙る。
広間の中央には、いつの間に運び込まれたのか小型のフォルテピアノが置かれていた。
「陛下、恐れ入りますが。本日、急ぎの仕事で立て込んでおりましてすぐに戻らねばなりません」
「ははは! そう固いことを言わず! 一曲だけでいい」
「若き天才の音をぜひ」
「オペラが始まる前に聴けるとは光栄だ」
「噂以上なのか確かめたいものですな」
イルミは諦め、渋々椅子へ腰掛ける。
鍵盤へ手を伸ばすと風を含んだ袖口が少し遅れて揺れる。
瞬間、ざわついていた空気が静まった。
静かな旋律だった。
夜へ沈みかけた水面のような音に貴族達は息を呑む。
長い指が鍵盤の上を滑る。
黒い髪を後ろへ流した横顔は涼しげだったが、音が重なり合うたびその指先から紫の光が滲むような不思議な熱を帯びる。その場にいた誰もが同じ錯覚を覚えていた。
イルミの指が動き音が生まれる。
その軌跡を追うように葡萄酒を一滴垂らしたような紫は夜へ溶けてゆく。
誰の目にも見えない筈なのに旋律だけが確かに形を持ち、夜の広間をゆっくりと染めていった。
開いた窓から入り込む夜風が布を膨らませ、袖先に並んだ小さな胡桃色のボタンが鍵盤の上を走る小指の近くで微かに光を返す。
「素晴らしい!」
曲が終わると盛大な拍手が起きアンコールを求められる。
適当に始めた即興だった。
だがイルミの頭の中では、別の音が鳴り始める。
(第二幕終盤の転調が弱い)
左手を流しながら考える。
(いや、合唱を減らすか……高音を先に抜いた方が)
次第に旋律はオペラの主題へ流れていく。
エレオノーラの体が振り返る。
(これは……第二幕の)