第15章 五線譜の牢獄
ウイングは眼鏡の位置を指先で直した。
冗談でも皮肉でもない。
目の前の青年は本気でそう思っている。どうやら、この少年にとって音楽が止まることは災害よりも重大らしい。
しばし二人の間に沈黙が落ちる。
――ドン。
不意に低い音が響き、二人は一斉に振り向く。
楽団最後列のティンパニ席だった。
「あ」
ウイングが額を押さえる。
ティンパニの前には、小さな少年が立っていた。年の頃は五歳前後だろうか。
両手で抱えるようにマレットを握りしめ、興味津々といった顔でティンパニを見上げていた。
少年はマレットを握りしめたまま、もう一度そっと叩く。
――ドン。
「師匠! 見てみて!」
少年は嬉しそうに手を振った。
「あー、こらこら、ズシ」
ウイングは慌てて駆け寄る。
「勝手に触ったら駄目です」
「少しだけ。この楽器みたことないッスから」
「全く。少しだけでも駄目です」
そう言いながらも、ウイングの声に本気で怒っている様子はなかった。
ズシの方も全く堪えておらず、キラキラとした瞳を輝かせている。
二人はそれからも何やら言葉を交わしながら笑い合っている。
イルミはその様子をほんの一瞬だけ眺めた。
――師匠。
屈託のない笑顔でそう呼びかける少年は叱られている筈なのに、少しも嫌そうではない。寧ろ、飛び込んでいるように見える。
理解はできなかった。
だが、不思議な光景だった。
視線がふと落ちる。
抱えた譜面の端を指先で揃えると、イルミは部屋を後にした。