第15章 五線譜の牢獄
幼少期より音楽都市を周り観てきたオペラを基準とすれば、グランツェのレベルは著しく低いものだった。
だから、音域を狭め、パッセージを減らし、和声を整理し、難所を削って書いたのだ。
本来置きたい音をかなりの部分で諦めて妥協したというのに、これ以上どこを削れというのか。
難しくて弾けないのなら弾けるまで練習すればいいだけだろう。
まだ弾いてもいないうちから難しいと言われても、イルミには理解できなかった。
「なら今は判断できない。リハーサルで見てから決める」
「承知いたしました。こちらも改訂の折にはなるべく早めに楽譜をいただきたく――」
「それはわかったってば」
「ありがとうございます。どうぞ宜しくお願い致します」
「もういい?」
イルミはそう言うと写譜師の男を追い払うように目を細めた。
「ご休憩中、大変失礼致しました」
しばらくして、イルミがようやく机へ向い羽ペンにインクを浸したその時だった。
コンコン。
また扉が鳴る。
イルミは眉を顰めペン先が譜面を汚さないよう置いて立ち上がる。
「何?」
声を掛ければ、扉の向こうから遠慮がちな声が返ってきた。
「写譜室です。不明箇所がございまして確認させていただきたく――」
「不明箇所?」
イルミが扉を開けると、写譜師は先程受け取った譜面を抱えて立っている。
「一箇所でも誤れば百部以上の差し替えになります。公演日程に間に合わなくなる恐れもございますので」
「ああ、はいはい」
「恐れ入ります」
写譜師の手元には几帳面に綴られたメモが握られていた。
「どこ?」
「ええ……こちらは八分音符でよろしいでしょうか」
「そうだよ」
「この記号は?」
「アクセント」
「こちらも?」
「アクセント」
「ではこちらもアクセントで――」
「そう。全部アクセント」
「畏まりました」
写譜師は真剣な顔で台帳へ書き込んでいく。そして次のページを開いた。