第12章 Cadenza(カデンツァ)※一部、微裏・怪我表現あり
次々と球を落とすエレオノーラに周囲の空気は少しずつ変わり始めていた。
カードをしていた男達が手を止める。
酒を取りに来た女達も、壁際へ残ったまま動かない。
「……殿下、強っ」
「圧勝じゃねぇか」
「勝負事の強さは流石の父親譲りだ」
口々に声をあげる。
だがイルミは微動だにしない。
その静けさが、不気味だった。
(……何を考えてるの?)
普通なら焦る。
勝負を取られれば、表情か呼吸に必ず揺れが出る。
だがイルミは熱を待たない人形のように、ただそこにいた。
まるで最初から、勝敗そのものが存在していないように。
(本当に動じてないの……?)
その時、ほんの僅かにエレオノーラの視線がイルミへ流れる。
そして、その一瞬だけ集中が盤面から外れた。
「あ」
空気が揺れる。
カツン。
球が縁を掠め、沈まず止まる。
そこでイルミが初めて壁から身体を離した。
その動きだけで、何故か周囲まで息を止める。
イルミは静かな足取りで台へ近づき、キューを取る。
腰を屈め、長い指の間を滑りキューの角度が決まる。
白球へ落とされた視線は、獲物を射抜くように静かだった。
台越しに覗くその姿は、艶めく漆黒のジャケットを背景に白い指先だけが異様に浮かび上がって見える。
その上で細く絞られた目には、一切の迷いがない。
カン――ッ。
鋭い音。
白球が一度クッションへ当たり、複雑な角度を持って跳ね返る。乾いた音を立てた白球が、他の球を正確に弾き飛ばす。
誰も想像していなかった奥の球が落ちた。
「……は」
エレオノーラの声が小さく漏れる。
イルミは間をおかず次を撞く。
角度を読むのも、キューを構えるのも一切の無駄がない。
急に盤面全体を支配し始めるイルミに、エレオノーラの眉が初めて僅かに動いた。
「……なかなか、お上手なのね」
イルミは答えない。
速くもなく、派手でもない。
なのに、盤面そのものを書き換えていく。
イルミの手により操られるキューに追い詰められているのは球なのか、自分なのか。
エレオノーラは分からなくなった。
イルミは一言も喋らない。
ただ一つ撞くたび、黒髪だけが微かに揺れた。
まるで殺気を断ち獲物の癖を見切ったあと、ようやく牙を立てたハンターだった。