第12章 Cadenza(カデンツァ)※一部、微裏・怪我表現あり
舞台袖から少し外れた階段を降りると、楽屋裏の遊戯室へ辿り着く。
薄暗い室内には琥珀色の灯りが落ち、中央のビリヤード台だけが静かに浮かび上がっていた。
石壁沿いにはランプの火が揺れている。
煙草の煙が天井近くに薄く滞り、酒瓶を片手に楽団員たちが緩んだ笑い声を飛ばしていた。
「――おい、殿下と作曲家先生じゃねぇか」
一人が気付いて声を上げる。
「なんか妙に絵になるな」
「ちくちょー。やってらんねぇ……」
「まあったくよ。先生、顔だけはいいからなぁ」
ヒューと、誰かの指笛が鳴る。
エレオノーラは軽く片手を上げるだけで応じると、ビリヤード台の脇へ立った。深紅のドレスが、緑の台布を一層際立たせる。
イルミはその向かいへ静かに回る。
周囲はまだ気楽な空気で二人を眺めていた。
“歌姫と若い作曲家が遊んでいる”その程度の認識だ。
「どっちが勝つと思う?」
「そりゃ殿下だろ」
「でも先生、なんか怖ぇんだよな」
冷やかし混じりの笑い声が飛ぶ。
エレオノーラはキューを受け取ると、迷いなく初球を撞いた。
乾いた音。
白球が滑るように走り、鮮やかに一つ目を沈める。
「おお……!」
小さなどよめきが湧く。
続けざまに二球、三球。
舞台上の所作そのままの、美しく淀みないフォームだった。
エレオノーラはふっと口元を緩めた。
「手加減はしないわ」
「別にいいよ」
イルミは壁際へ軽く寄りかかったまま答える。
「俺もしないし」
黒い瞳だけが静かに盤面を眺めていた。
「……なんか空気ヤバくない?」
「殿下、本気じゃん」
エレオノーラは聞こえていないような顔で次の球へ狙いを定め、微かに違和感を覚える。
この男、何を見ているのか?
視線の置き方がおかしい。
配置だけではなく、呼吸も、癖も、間も。
盤面ごと俯瞰するような黒い瞳は人間を観察しているみたいだった。
エレオノーラはごくりと息を飲み込む。
僅かな間の後、また次の球を沈める。