第11章 Second Theme(第二主題)
「……で、先生の曲は?」
「…………」
「進んでませんの?」
「全然」
イルミは鍵盤を玩具のように遊ばせながら、あっさり答える。
「だって台本ないのにオペラ書けないでしょ。感情も場面も決まってないのに」
「そうなのね……貴方なら適当に全部書いてしまいそうなのに」
「そんなに適当に見えるかな俺?」
イルミは鍵盤からスッと手を離す。
「役者が喋って、動いて、壊れて、それで初めて音が決まる。一音一音全てに、そこに置かれる理由がある」
立ち上がって舞台を見つめる横顔はどこか天を仰ぐようだった。まるで人ではなく神と対話してるような。
エレオノーラははそんなイルミを眺め、ふっと笑う。
「まあ、仕方ありませんわね」
立ち上がり、ドレスの皺を払うエレオノーラを振り返りイルミは聞いた。
「……で、今日のレッスンはどうする? エレオの歌唱技術には取り立てて問題なさそうなんだけど、レッスン料発生してるしやる?」
「んー」
エレオノーラは気のない声を漏らす。
「それとも、何か弾こうか? ホールの生音聴くのって結構勉強になるし。音の返りとか、消え方とか。ここのピアニストまともに鳴らせてないでしょ」
するとエレオノーラはわざとらしく肩を落とした。
「私、本番の曲でないと気分が乗りませんの。……そんなことよりビリヤードでもいかが?」
「ビリヤード?」
「ええ。勝負しましょう?」
イルミは少しだけ目を細める。
「私が勝ったら、夜の街に遊びに行きません?」
エレオノーラはそう言って、黒いジャケットの前を開けたまま腰へ片手を置くイルミの腕へ、自分の腕を絡めた。
肌が触れる。
香水と白粉の混じった熟れた花のような匂いがイルミの鼻先を掠めた。
舞台女優特有の、客席へ染み込むための匂いだった。
「……俺が勝ったら?」
エレオノーラの赤い唇が弧を描いた。
「何を望みますの?」
イルミは数秒考える。
「そうだな。もっと待遇上げてよ」
「……あら、そこへ来るとは思いませんでしたわ。面白い方ね」
エレオノーラとイルミは腕を組みながら、楽屋裏に歩き出した。
空席の劇場にビリヤード球の乾いた衝突音だけが響いていた。