第9章 彼は遊女の彼女を手放したくない 【鬼滅の刃 不死川実弥】
「……いただきます」
一つ手に取り、大きな口で頬張る。
その瞬間、不死川瞳がわずかに見開かれ、いつも険しい眉間の皺がふっと消えた。
「…………美味ェ」
「本当ですか? よかった……」
「あァ。……甘さが、ちょうどいい。……テメェ、料理の腕だけは確かだな」
不死川は夢中で二つ目、三つ目と手を伸ばす。
その顔は、戦場で見せる鬼のような形相とは正反対の、年相応の青年のようでもあった。
いのりは、美味しそうに食べる不死川の顔を、笑みを浮かべながら見つめていた。
かつての食事の用意は単なる「義務」であり、彼の機嫌を損ねないための「作業」に過ぎなかった。
けれど今は、目の前の男が喜んでくれることが、自分の胸をこれほどまでに温かくさせる事実に驚いていた。
「……なんだよォ。人の顔、じろじろ見んじゃねェ」
ふと視線に気づいた不死川が、耳まで赤くして手を止めた。
「すみません。不死川さんがあまりに幸せそうに召し上がるので、つい」
「し、幸せっ!?……っつーか、テメェ……」
不死川は落ち着きを失ったように視線を泳がせた。
彼が驚いていたのはおはぎの味だけではなかった。
彼女が作る日々の献立、出汁や、米の炊き加減――そのすべてが、自分の好みに恐ろしいほど合致していたのだ。
(……クソ。宇髄の野郎が言ってた通りだ)
不死川は心の中で毒づいた。
最初はただ「助けが必要な女」として置いてやったはずだった。
しかし、掃除の行き届いた部屋、繕われた衣類、そして胃袋を鷲掴みにされるようなこの食事。
「……おい」
「はい、不死川さん」
「……テメェ。これからも、ここに居ろよ。どっか行こうなんて、露ほども思うんじゃねェぞ」
「え……?」
「……二度は言わねェ。……明日も、飯作れ」
ぶっきらぼうに投げかけられた言葉だったが、それは不死川にとって最大級の「必要だ」という意思表示であった。
いのりは驚きに目を丸くした後、ゆっくりと深くお辞儀をした。
「はい。喜んで、ここに居させていただきます」
禅院の「胎」でも、遊郭の「商品」でもない。
ただ一人の人間として、美味しいと言ってもらえる。
そのささやかな幸せが、彼女の傷ついた心に深く染み渡っていったのだった。