第9章 彼は遊女の彼女を手放したくない 【鬼滅の刃 不死川実弥】
宇髄は不死川に聞こえないよう、彼女の耳元に口を寄せた。
「あいつ、あんな顔してるが、『おはぎ』にゃ目がねぇんだ。特に粒あんのな。甘党なんだよ、あいつは。……作ってやれば、少しは機嫌も直るんじゃねぇか?」
「おはぎ……ですか?」
「ああ。内緒だぞ。あいつ、それを知られるのを極端に嫌がるからな。じゃあな、派手に仲良くやれよ!」
宇髄はそれだけ言い残すと、風のように去っていった。
「……不死川さん?」
おずおずと居間に入ると、不死川はまだ不機嫌そうに、胡坐をかいて座っていた。
「……なんだよォ。あいつの言うことなんか、一文字も聞く必要ねェからな」
「はい。……あの、不死川さん。お腹、空いていませんか? 何か、甘いもの……おはぎとか、作ってみようかと思うのですが」
その言葉が出た瞬間、不死川の身体が目に見えて硬直した。
「……ッ!? なんで、テメェ……それを……」
「えっと……勘、でしょうか?」
不死川は顔を真っ赤に染めてそっぽを向いたが、否定はしなかった。
かつて直哉に与えられた「悦ばせるための技」ではなく、誰かの好物を作って「喜ばせたい」という純粋な気持ち。
いのりは、この不器用な男のために、心を込めて小豆を煮ようと決めたのだった。
不死川が任務で出かけるのを見送ると、いのりは急いで街へ向かい、上質な小豆ともち米を買い揃えた。
夕暮れ時、屋敷の中には甘く香ばしい香りが漂っていた。
慣れない手つきで小豆を煮詰め、火加減に細心の注意を払いながら、彼女は丁寧に「おはぎ」を拵える。
「……おかえりなさい、不死川さん」
玄関の戸が開く音が聞こえると、いのりは少し緊張した面持ちで迎えた。
不死川は鼻を微かに動かし、ふいっと顔を背ける。
「……あァ。ただいま。……おい、なんだ、この匂いは」
「ふふ、お約束したでしょう? おはぎを作ってみたんです。口に合うか分かりませんけれど」
居間に座った不死川の前に、丸々と丸められた粒あんのおはぎが並んだ。
不死川は不機嫌そうな顔を維持しようと努めたが、目の前のおはぎを前にすると、わずかに肩の力を抜いた。