第8章 口下手な彼は彼女と暮らしたい 【鬼滅の刃 冨岡義勇】
ある日、陽が沈み群青色の空が夜の帳を下ろしても、昼間街に買い出しに行ったいのりが蝶屋敷に戻ることはなかった。
「……遅すぎます。いくらなんでも、買い出しだけでこんな時間になるはずがありません」
しのぶの表情は険しく、手近な隊士たちにすぐさま街への捜索を命じた。
そこへ、旅塵に汚れながらも、どこか足早に屋敷へと戻ってきた影があった。
「戻った。……胡蝶、どうした。随分と騒がしいが」
義勇だった。
その手には、遠方の任務地で見つけた、可愛らしい組紐の土産が握られている。
「冨岡さん! ちょうどいいところに。……いのりさんが、買い出しに出たきり戻らないんです」
しのぶの言葉が終わるか終わらないかのうちに、義勇の周囲の空気が凍りついた。
いつも凪いでいるはずの瞳に、鋭い焦燥が走る。
「……どの街だ」
「待ってください、俺も行きます!」
そこへ駆け寄ってきたのは、リハビリ中でまだ包帯の残る炭治郎だった。
「冨岡さん! 俺の鼻なら、いのりさんの匂いを追えます」
「……来い」
義勇は短く一言放つと、炭治郎を伴って夜の闇へと飛び出した。
街へと続く街道は、人通りも絶えて静まり返っていた。
炭治郎は鼻をひくつかせ、必死に空気の糸を手繰り寄せる。
「……こっちです! 林の方へ匂いが続いてる。……いのりさんと一緒に酷く濁った、嫌な匂いが混じってる……!」
その言葉に、義勇の手が日輪刀の柄にかけられた。
心臓の鼓動が早まる。
自分のいない間に彼女に何かあれば。
あの地獄のような場所から逃れた彼女を、守れなかったとしたら。
「……これは! 冨岡さん、見てください!」
炭治郎が道端の草むらを指差した。
月明かりに照らされていたのは、泥に汚れ、引きちぎられた群青色の髪紐だった。
義勇はそれを拾い上げると、無言で拳の中に握りしめた。
それは、彼女が「大切にしています」と笑って身につけていた、彼が贈った宝物だった。
「……炭治郎、匂いはどっちだ」
義勇の声は、静かすぎて逆に恐ろしいほどの怒りを孕んでいた。
「あっちです……! 匂いが強くなってる、すぐ近くだ!」
髪紐を懐に押し込み、義勇は水の如き速さで闇の奥へと突き進んでいく。
その脳裏には、彼女の震える涙と、守ると決めたあの日の誓いが、激流となって渦巻いていた。
