第8章 口下手な彼は彼女と暮らしたい 【鬼滅の刃 冨岡義勇】
翌日、蝶屋敷の庭先で洗濯物を干していたいのりの元に、静かな足音が近づいてきた。
「……いのり」
「あ、冨岡さん! お疲れ様です」
振り返ったいのりの髪には、昨日炭治郎たちに冷やかされたあの群青色の髪紐が、陽の光を浴びて艶やかに揺れていた。
それを見た義勇は足を止め、じっと彼女の髪を見つめた。
「……毎日、使っているのだな」
「はい。とても気に入っています。私には勿体ないくらい素敵な紐ですから」
いのりがはにかんで笑うと、いつも氷のように無表情な義勇の口元が、ほんのわずかに、けれど確かに緩んだ。
「……そうか。お前によく似合っている」
そう言って、義勇は珍しくふわりと、春の陽だまりのような柔らかな微笑みを浮かべた。
普段の威厳ある「水柱」の姿からは想像もつかないその表情に、いのりはドクンと心臓が跳ねるのを感じた。
(……え、今、笑った……?)
胸の高鳴りが顔に出ていないか不安になりながら、いのりは熱くなった頬を隠すように俯いた。
そんな彼女の様子をどう捉えたのか、義勇は懐から丁寧に包まれた小箱を取り出した。
「これを。……珍しい菓子だと聞いた」
「えっ、またですか? いつもいただいてばかりで、私……」
「気にするな。……俺が、お前に渡したいだけだ」
「渡したいだけ」という真っ直ぐな言葉に、いのりはさらに顔を赤くして、震える手でその箱を受け取った。
中には、当時でも手に入りにくい色鮮やかな金平糖や高級な練り菓子が詰まっていた。
「……今から長期の任務に出る。しばらく戻れない」
「え……長期、ですか?」
急な別れの告白に、いのりの胸がキュッと締め付けられた。
いつの間にか、自分の中で彼の存在がどれほど大きくなっていたかを自覚させられる。
「……お怪我、されないように気をつけてくださいね。……待っていますから」
「待っている」という言葉に、義勇は一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻り、力強く頷いた。
「ああ。……必ず戻る。……その髪紐、失くすなよ」
「はい!」
翻る羽織の背中を見送りながら、いのりは彼からもらったお菓子の箱を、宝物のように大切に抱きしめた。
その姿を、遠くの廊下からしのぶが「あらあら」と、半ば呆れ、半ば温かい目で見守っていた。