第8章 第8章 口下手な彼は彼女と暮らしたい 【鬼滅の刃 冨岡義勇】
夕闇が街を優しく包み、秋の虫の声が響き始めた頃。
居間で夜風に当たっていたいのりの隣に、義勇が静かに腰を下ろした。
「……いのり」
「はい、義勇さん」
振り向いた彼女の瞳には、行燈の柔らかな光が宿っている。
義勇は懐から大切そうに小さな桐箱を取り出すと、それを差し出した。
「これを。……以前の髪紐も似合っていたが、これを、お前に」
蓋を開けると、そこには月明かりを凝縮したような、繊細な銀細工に翡翠をあしらった美しい簪が収められていた。
「わあ……なんて綺麗な……。でも、義勇さん、こんなに高価なもの……」
「……受け取ってくれ」
義勇の震える声に、いのりはふと、しのぶから聞いた話を思い出した。
この時代において、男が女に簪を贈るということが、何を意味するのか。
(……一生、あなたの髪を整えさせてほしい。つまり……)
「これ、は……。私を、妻にしてくださるという意味……ですか?」
問いかけるいのりの指先が、わずかに震える。
義勇は逃げることなく、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「……そうだ。お前を、誰にも渡したくない。俺が一生、この場所で守り抜くと誓いたい。……こんなな俺だが、生涯を共に歩んでくれないか」
言葉を尽くすことを嫌う彼が、絞り出すように伝えた真実の愛。
いのりの視界が、一瞬で涙に滲んだ。
かつて道具として蹂躙された自分が、この世界で、こんなにも清らかで深い愛を注がれている。
「……っ、ふ……はい。喜んで……。私の方こそ、ずっと、あなたの側にいさせてください」
溢れ出した涙を、義勇は大きな手で優しく拭った。
そして、箱から簪を取り出すと、彼女の髪にそっと、慈しむように差し込んだ。
「……よく似合う」
「……ありがとう、ございます。……旦那様」
「旦那様」という響きに、義勇の瞳が熱く揺れる。
彼は堪えきれないといった様子で彼女を抱き寄せ、唇を重ねた。
「愛している、いのり。……お前はもう、俺のものだ。……誰にも、指一本触れさせない」
「ふふ……知っています。……私も、あなただけのものです、義勇さん」
簪が触れ合うかすかな音と共に、二人は深い口付けを交わした。
もう二度と、彼女が暗い闇に怯えることはない。
二人の頭上には、祝福するように美しい月が、どこまでも優しく輝いていた。
