第7章 潜入捜査官の彼は彼女に助けられる 【名探偵コナン 諸伏景光】
潮騒の音と、どこか懐かしい土の匂いが混じり合う、長閑な島の昼下がりだった。
「あら、諸伏さんとこの奥さん! 今日も綺麗ねぇ」
「あ、いえ……! その、奥さんだなんて、まだ……」
「またまた、そんなに照れちゃって。はい、これ、今朝獲れたばかりの立派な鯛だよ。旦那さんに美味しいもの作ってあげて!」
島の老婆から強引に魚を押し付けられ、彼女は真っ赤な顔で立ち尽くした。
組織の追及を逃れ、降谷の手引きでたどり着いたこの島では、若い男女の二人は完全に「新婚さん」として定着していた。
二人で住む古民家へ戻ると、縁側で釣具の手入れをしていた景光が顔を上げた。
「おかえりいのり。……また、奥さんって呼ばれたのかい?」
「……はい。否定する間もなく、このお魚までいただいてしまって。景光さん、私……その、申し訳なくて」
いのりが羞恥に震えながら魚を差し出すと、景光は少しだけ困ったように、けれど愛おしそうに笑った。
「島の人たちの歓迎ぶりはすごいね。……でも、嫌かな? 俺の妻だと思われるのは」
「そ、そんなわけありません! むしろ私には勿体なすぎて……景光さんは、嫌じゃないんですか?」
問い返された景光の手が止まった。
組織壊滅までの「長期休暇」という名目のひと時。
命の保証すらなかったあの頃に比べれば、今の時間は夢のように穏やかだった。
「……嫌なわけないだろう。むしろ、俺の方がドキドキしてるよ。君みたいな綺麗な人と一緒に住んでいて、何も意識しないほど、俺は強くないんだ」
「景光さん……」
ふいに視線が重なり、沈黙が流れた。
直哉に強いられていた「関係」とは違う、指先一つ触れるのにも勇気がいるような、じれったくて温かい距離感。
「あ、あの! すぐにお魚、捌いてきますね。夜は豪華なご飯にしましょう!」
「……ああ。手伝うよ」
逃げるように台所へ向かういのりの背中を見送りながら、景光は自分の胸元に残るかすかな鼓動の速さに苦笑した。
「……ゼロが見たら、絶対笑われるな、これは」
付き合っているわけでも、本当の夫婦でもない。
けれど、この島に流れるゆっくりとした時間の中で、二人の心は深く、静かに重なり合おうとしていた。