第12章 傷と夜空
彼女は、こちらを振り返る
『七海…頑張ったね…』
ふわっと、正面から七海の後ろに手を回し子供を扱うように七海の背中を撫でる
『灰原…遅くなってゴメン…後少し頑張って』
仰向けになって倒れている灰原の頬を撫でる
次の瞬間、七海は理解した
痛みが止まった…
正確には―鈍い痛み…
負傷した箇所の症状が“進まなくなった”
傷は、えぐれたまま
骨は、折れたまま
だが、それ以上、悪化しない
「…何だ、これ」
自分達の身体に、紅海の物と思われる
薄い呪力が纏っている
七海が呪力を練ろうとした瞬間、違和感に気付く
流したはずの呪力が、紅海の呪力に“吸い込まれる”
自分の術式が発動しない、戦えないのだ
その間も、紅海は呪霊に攻撃を与え続けている
『七海!』
紅海が叫ぶ
『動ける?灰原を連れて!領域の端まで!』
「…何を」
『いいから!補助監督呼べる所まで逃げて!』
もしかして、攻撃を止めれば、領域は意味を失うのか?
それを、七海は直感で理解した
「…流鏑馬さん、あなたは!」
『私はいいから!今は、あなた達、2人の安全を優先して!』
選択肢はなかった
七海は歯を食いしばり、灰原を抱えた
意識がほとんど無い灰原は重かった
が、怪我の進行が無い分、自分の動きは驚くほど軽くなった
領域の縁に近づくにつれ、
進行が止まっていた傷口から自分も灰原も血が流れ始める
ダメージが、じわりと現実に戻ろうとする感覚があった
それでも、逃げた
ひたすら逃げた
補助監督を呼び、医療班が駆けつけた頃には
紅海の姿は、遠くでもう見えなかった
七海は重傷
灰原は…
助からなかった
領域を越えると損傷状態が進み悪化する
猶予は、永遠では無いのだ
七海は、今でも覚えている
灰原が最期に、かすかに笑った事
「七海、後は頼んだよ」
そう言った
救われた命と、救えなかった命
紅海の領域展開
慈掌緩枷(じしょうのゆるがせ)
掌で撫でた対象を呪力で護り、損傷部分の進行を留める
発動者はマークした呪霊に攻撃を与え続けなければならない
慈悲の掌は命の救済ではない
ただ、時間を引き延ばすだけの残酷な枷なのだ