第37章 都と帳
朝の京都は、まだ少しだけ空気が柔らかい
窓を開けると、涼しい風が部屋を通り抜けた
遊佐由布湯は、壁に掛けられた時計を一瞥し、静かにネクタイを締める
鏡に映る自分を確認するのは一瞬だけ
黒いスーツ
薄く色の付いた眼鏡
いつもの仕事着だ
玄関へ向かう途中、小さな観葉植物の前で足を止める
霧吹きを手に取り、葉へ細かな水滴を落としていく
朝日に濡れた葉が、小さく光を返した
「……今日も留守番、頼むわ」
独り言のように呟く
昔、一度だけ犬を飼おうと思ったことがあった
任務から帰ってきた家に、誰かが待っている
そんな生活も悪くないと思ったから
けれど結局、やめた
補助監督は前線に立たないが、それでも危険とは隣り合わせだ
術師を送り届け、時に帳を降ろし
そして…
時には、帰って来なかった術師を、静かに迎えにも行く
自分が帰れなくなる可能性だって、決してゼロではない
命を預かる責任は、人でも動物でも変わらない
鍵を閉め、静かに家を出た
京都の街は、今日も観光客で賑わい始めている
バス停には長い列
外国語が飛び交い、地図を広げる学生たち
修学旅行らしい制服姿も目に入る
「今日も多いなぁ…」
小さく呟きながら地下鉄へ乗り込む
車窓を流れる街並みを眺めるともなく眺め、やがて駅へ到着する
改札を抜け、坂道を歩く
朝露の残る木々の向こう
京都府立呪術高等専門学校の門が姿を現した
「遊佐さん!」
明るい声が飛ぶ
振り返ると、竹刀袋を肩へ掛けた三輪霞が、小走りで近付いてきた
「おはようございます!」
「おはようさん」
遊佐が笑う
「今日も三輪さんは、早いなぁ」
「朝練してたんです!」
「相変わらず真面目やね」
「えへへ」
照れくさそうに三輪は笑う
「褒められると延びるタイプです!」
「ほな、いっぱい褒めとかなあかんな」
「お願いします!」
屈託のない返事だった
その素直さに、遊佐は少しだけ目を細める
二人で校舎へ向かって歩き始めた