第31章 出会った男、不穏な気配
「……そこを濡らすな」
その声音に棘はなく、ただ無意識に口をついて出たようだった。
男は靴を揃え終えると、奥の棚から真っ白なタオルを取り出す。
「これを使え」
「ありがとうございます」
受け取ろうと手を伸ばした瞬間、また一瞬だけ、2人の指先が触れた。
途端に、の胸が小さく跳ねる。
それに反して、男は無表情のまま。
しかし、内心では確かに動揺していた。
(……まただ。不快じゃない。なぜ……)
はタオルで髪を拭いながら、男の背に目をやる。
黒いマスク越しに見える横顔は整っていて、どこか寂しげにも見えた。
「あの……助けてくださって、本当にありがとうございます」
男は少し間を置いてから、低く答える。
「……気にするな。俺の方こそ、不躾に連れてきた」
はくすっと笑った。
「ふふ、なんか真面目ですね」
その笑い声に、また心臓がざわつく。
音もなく、空気が変わっていく。
(………なぜ)
タオルを手にしたまま、男はをまっすぐ見つめた。
その視線には、まだ“興味”と“恐れ”が入り混じっている。
「あ、そうだ!助けてもらったのにまだ名乗ってませんでしたね」
濡れた髪を耳にかけながら、は少し姿勢を正す。
「私はといいます。雄英高校で教師をしてるんです」
その名を聞いた瞬間、男の目がかすかに動いた。
男は少し間を置き、視線をそらすようにして呟いた。
「…ニュースで見た。あなたの“個性”のことも」
「あ、そうなんですね……なんか、ちょっと恥ずかしいです」
頬をかくに、彼は思わず小さく息を漏らす。
「……俺は、治崎。治崎廻だ」
「廻…さん……」
その名を口にした瞬間、脳裏に一枚の資料がよぎった。
プロヒーローになる際にもらった資料の指定敵団体一覧の中に記されていた名前。
“死穢八斎會 若頭・治崎 廻”
は顔に出さぬよう、そっと視線を伏せる。
目の前の男は、淡々とした口調で言った。
治「雨が止むまで、ここにいろ。外はまだひどい」
「…ありがとうございます」
は小さく微笑んだ。