第31章 出会った男、不穏な気配
「立てるか」
冷たく短い声。
はためらいながらも、その手を取る。
冷たい声とは反対に、その手は驚くほど温かかった。
男の指先が、の掌に触れた瞬間。
彼の中で、何かが音を立てて崩れた。
(本当に……触れた。不快感も、ない……)
素手で触れているというのに、あの忌まわしい感覚がまったく起きない。
その事実に、息を呑んだ。
「ありがとうございます……すみません、急いでて」
が小さく頭を下げる。
その仕草を、男はただ静かに見つめていた。
雨の音だけが、2人の間を満たしている。
「風邪、引くぞ。……着いてこい」
男は短く言い、の手を離さぬまま歩き出した。
「えっ!?いや、大丈夫ですよ!」
「ここじゃ濡れる。……少し歩けば、俺の事務所がある」
なぜそう言葉が出るのか、自分でもわからなかった。
だが確かに、口が勝手に動いていた。
(事務所…?ヒーロー…ではないよね…)
は一瞬迷ったように目を瞬かせたが、雨脚の強さに観念したように頷いた。
「ありがとうございます。……助かります」
「……別に」
そう言いながら、男は傘を少し傾け、の肩を雨から守るように寄せた。
建物の前に着くと、男は無言で扉を開けた。
(わぁ…大きい…)
立派な日本家屋。
まるで轟の家みたいだった。
中に入ってみると、思っていたよりも整然とした空間。
無機質な白と深い黒が支配する、どこか病院のような雰囲気だった。
「入れ」
短い声に促され、はおずおずと靴を脱ぐ。
玄関に一歩足を踏み入れた瞬間、ほんのかすかに漂う消毒液の匂いに気づく。