第30章 「善意の逆理 Ⅲ」
***
病院の待合室は、やけに明るく感じた。
白い天井。
白い壁。
消毒液の匂い。
さっきまでいた屋上の、錆びた鉄の匂いも。
水浸しの床も。
真澄ちゃんが落ちていく瞬間も。
全部、まだ身体に張りついているのに。
ここだけが、何もなかったみたいに明るい。
野薔薇ちゃんは、待合室の椅子に座ったまま、ずっと自分の手を見つめていた。
制服も、髪も、まだ濡れている。
髪の先から落ちた水滴が、床に小さな染みを作っていた。
タオルを渡したが、野薔薇ちゃんは拭こうともしなかった。
ただ、あれからずっと自分の手を見つめている。
「……野薔薇ちゃん、風邪ひくよ」
声をかけても、返事はなかった。
何か言わなきゃと思う。
でも、何を言えばいいのか分からなかった。
真澄ちゃんを止められなかったのは、私も同じだったから。
処置室の扉の向こうでは、慌ただしい足音が聞こえる。
真澄ちゃんは、まだ息をしている。
でも、かなり危険な状態で。
処置室の中では、今も緊急手術が続いていた。
野薔薇ちゃんの隣に腰を下ろすと、入り口の自動ドアが開く音がした。
顔を上げると、伊地知さんが駆け込んでくる。
その後ろには、先生もいた。
先生は私たちの前で足を止めると、何も言わずに野薔薇ちゃんを見る。
それから、私の方へ視線を移し、頭をぽりぽりと掻いた。
「二人とも無事……ってわけじゃないか」
先生の声を聞いたら、安心感で泣きたくなった。
今すぐ立ち上がって、その胸に飛び込んでしまいたくなる。
でも、ぎゅっと唇を噛んで堪える。
今は……私が泣く時じゃない。
「伊地知。飛び降りた子の容態は?」
「は、はい。現在、家入さんが処置に当たっていますが……」
伊地知さんが、ちらりと私たちを見て言葉を濁した。
「かなり危険な状態で……落下による損傷と、出血がひどいようで――」
「私、トイレ」
伊地知さんの言葉を遮るように、野薔薇ちゃんが立ち上がった。