第1章 三十日月1
照れたようにくねくねと地面を転がる善逸に少女はあきらめたように言った。
「朔かー。朔ちゃん! すごくいい名前だね!」
「どうも、もう行っていい?」
「ねえ?朔はこんな夜遅くに何をしてるの?」
腹が減ったからと答えれば、食べないでと騒ぐだろうか。
答える必要のない質問であったが朔は少し考えて言った。
「アンタこそどんな悪さをしたらこんなことになるわけ」
「別に。なにもしてないよ」
はぐらかしついでに一番気になった質問をしてみれば、なんてこともないように返される。
「なにかしたから縛られてたんでしょ」
「なにもしたくないから逃げようとして縛られたんだよ」
「なにそれ?」
善逸は朔の問いには答えなかった。そしてあさっての方を向いて言った。
「じいちゃんだ」
善逸からここにいない人の名前が出ることに朔は首を傾げた。しかたなく善逸の向いた方に耳を澄ますと、小さいながらもたしかに自然ではない音がする。この音を誰かの足音……それも主がわかるものだろうか。
まあ、この辺りに住んでいるのは善逸と”じいちゃん”なる人物だけかもしれないと朔は結論付けた。
「アンタの家族? ホントどんな悪さしたらこうなるのよ」
善逸を見下ろし、あきれたように朔はこぼすと、踵を返した。
食べないと決めた以上、姿を見られるのは得策ではない。
「じゃあね」
後ろ姿のまま手を振り、足を進める。
「待って!」
「なによ」
善逸の声に思わず足を止めてしまう。
「また会える?」
「……気が向いたらね」
変な人間だった。おかげですっかり食事をする気もなくなってしまった。
とりあえずと、岩壁から湧き出る水に手を突っ込んだ。