第118章 青い花の秘密
夜の帳が京の町をゆっくりと包み込んでいく。本能寺の境内では、篝火が等間隔に灯され、巡回する兵達の鎧が橙色の光を受けて鈍く輝いていた。
一見すれば、普段と変わらぬ静かな夜であった。だが、その静寂の裏では幾つもの思惑が交錯していた。
「見回りご苦労。交代だ。しばし休め」
秀吉の労いに、兵達は安堵したように頭を下げる。
「ありがとうございます!」
秀吉は笑みを浮かべながらも、視線だけは鋭く境内を見渡した。
(敵が襲ってくるなら、おそらく今宵だと御館様は仰った。警戒を怠らないようにしないとな)
道中無事に京へ着いたことで、此度の上洛の真の意味など知る由もない兵達の間には、安堵の色が広がっていた。気の緩みは命取りになる。
「秀吉」
一人、秀吉が気を引き締めていると背後から静かな声が響く。
振り返ると、月明かりの下に光秀が立っていた。
「光秀か。異常はないか」
「いや…先程から、寺の外に潜む気配が増えている」
その一言で、秀吉の表情から笑みが消える。
「数は?」
「二十……いや、三十ほどか」
「思ったより多いな」
秀吉は顔を顰め、舌打ちする。帝の座す京へは織田軍といえど多くの軍勢を入れることはできない。少数精鋭とはいえ、こちらの兵力にもさほどの余裕はなかった。
「おやおや、お前がそんな弱音を吐くとはな」
「弱音じゃねぇ。単なる状況確認だ」
揶揄うような光秀の口調に不快感を露わにしながらも、秀吉は冷静に考えを巡らせる。
「御館様には?」
「報告済みだ。と言っても、既に気付いておられたようだが」
信長が気付いていたと聞いても、秀吉は驚かなかった。
「あの御方らしいな」
「敵が動く刻限まで、あえて泳がせるおつもりだ」
光秀は薄く笑う。その笑みには余裕が感じられた。
「敢えて内に誘い込む、ってわけか」
「ああ。此度は敵に上手く奪わせねば事が進まん。"青い花"をな」
にやりと意味深な笑みを浮かべる光秀をちらりと横目で見ながら、秀吉は小さく溜め息を吐く。
(全く厄介な……)