第118章 青い花の秘密
「……やはり、気付いていたか」
その目に、驚きはない。寧ろ、信長が待ち構えていることすら読んでいたようだった。
「行け」
静かな一言が夜風に溶ける前に、無数の黒い影が疾風の如く駆け抜けて行く。本能寺の屋根へ無数の黒い影が舞い降りた。瓦を打つ鈍い音が雨のように連なって響く。
「なっ……!」
正面の敵と睨み合っていた織田軍の兵が驚いて空を仰ぐ。篝火の光が揺れ、屋根の上を走る影が次々と輪郭を持ち始める。
襲撃は正面からだけではなかった。
本当の狙いは敵兵を境内へ引きつけ、その隙に別働隊が“青い硝子細工の花”を奪うことだった。
静かだった本能寺は一瞬で怒号が飛び交う戦場へと変わる。火の明滅、飛び交う影、抜き放たれる刃の白い閃きが夜闇を切り裂いていく。瓦が砕け散る音と共に、黒装束の男達が一斉に本堂へと雪崩れ込む。
「花を探せ!黒漆塗りの長持だ」
低く飛ぶような号令が響き、敵は迷いなく宝物庫へと駆ける。
「御館様!」
秀吉が刀を払って信長の傍へ駆け寄る。
「奴ら、真っ直ぐ蔵へと向かっています」
「思惑通りだ」
信長は微塵も動じることなく口角を僅かに上げた。
「鼠がまんまと餌に食い付いたようですね」
光秀が喧騒の中でも変わらぬ涼やかな声で応じると、信長は蔵の方を見て不敵な笑みを浮かべた。
「偽物とは知らずにな」
一方、蔵の奥では厳重に守られた長持を見つけた賊の一人が歓喜の声を上げる。
「見つけたぞ!」
震える手で蓋を開ければ、月明かりを受けて青く輝く硝子細工の花が姿を現した。
「これだ……!」
男は花を手早く布で包むと懐へ押し込み、仲間へ叫ぶ。
「退けっ!」
男の号令と共に黒装束の男達は一斉に身を翻し、来た時と同じように屋根へと駆け上がる。
「逃がすな。撃て!」
織田軍の兵が鉄砲を射掛けようとした、その時だった。
「待て」
低く響いた一声に、その場の空気が凍り付いた。兵達が一斉に信長を振り返る。
「御館様……?」
困惑したようにその場で立ち竦む兵達を横目に、信長は逃げていく黒い影を静かに見据えたまま言い放つ。
「捨て置け」
「ですが…」
「餌を咥えた鼠は巣へ戻る」
その声音には一切の迷いがなく、確信に満ちていた。
「巣さえ分かれば、一匹残らず炙り出せる」