第118章 青い花の秘密
その日の昼過ぎ
整然と整えられた京の町並みが、緩やかに視界へと広がる。
京へ近づくにつれ、街道には旅人や商人の姿が増え、行き交う人々は織田軍の一行を見るなり慌てて道を譲った。
「織田様の御上洛だ」
「此度は何やら特別らしいな」
好奇に満ちた視線とともに、囁きが風に乗って聞こえてくる。
朱里は信長の腕に支えられたまま、久方振りに見る京の景色を静かに眺めた。
「京の町は変わりませんね。賑わいも変わらずで……」
先だっての毛利との戦いで御所を始め京の町は一部戦火に焼かれたが、信長が自ら陣頭に立って復興を推し進めた甲斐あって、元通りの賑わいが戻っているようだった。
「京はそこに暮らす人々を含め、強かだからな」
信長の声音は穏やかだった。
やがて、一行は本能寺の門前へと到着する。
既に寺の前では僧侶たちが深く頭を垂れ、出迎えの列を作っていた。
「ようこそお越しくださいました、織田様」
「うむ。此度も世話になる」
信長は軽く頷くと、馬を降りる。
朱里も手を借りて地面へ降り立つと、長旅で少し強張った足をそっと伸ばした。
「御館様」
いつの間にか現れていた光秀が、いつもの涼しげな笑みを浮かべて立っていた。
「寺の内外は一通り調べ終えました。今のところ怪しい者は見当たりません」
「…よかった」
思わずほっと息を吐いた朱里だったが、光秀は続けて意味深に目を細める。
「……表向きは、な」
「え?」
「鼠は必ず餌の匂いを嗅ぎつける。問題は、いつ巣穴から顔を出すかだ」
その言葉に朱里の胸が小さくざわつく。信長は光秀の言葉には答えず、本堂へと視線を向ける。
「長持は予定どおり奥へ運べ」
「はっ」
兵達が慎重に漆塗りの長持を運び始める。
重々しい金具が陽光に照らされ、不気味なほど鈍く光った。
それを見つめる信長の口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
「さて…鼠どもめ、いつまで己の欲を抑えていられるかな」
その一言だけ残すと、信長は本堂の中へと歩みを進めた。
同じ頃、本能寺から少し離れた町家の二階。
障子の隙間から寺の様子を見下ろす男がいた。
大坂城の城門前で荷車を見つめていた、あの笠の男である。
男は、寺へ運び込まれた漆塗りの長持をじっと見つめていた。