第118章 青い花の秘密
「信長様…」
瞳を潤ませて見上げる朱里に、信長は優しく宥めるように言う。
「案ずるな」
低く落ち着いた声が、耳元で響く。
その声は不思議と強く、朱里の揺れる心を少しだけ引き留めた。けれど、完全には消えない。安心したいのに、まだ胸の奥がざわつく。信じたいのに、手放しでは委ねられない。その矛盾が朱里の心の中で小さく軋んでいた。
「俺は己が勝てぬ勝負はせぬ」
その瞳には、一片の迷いも僅かな恐れもない。
朱里は信長の自信に満ちた顔を見上げたまま、何も言えなくなる。こんなにも揺るがない人をどうして自分はこんなに心配してしまうのだろう。信長なら大丈夫だと分かっているはずなのに、心だけが先に怯えてしまう。
「それに……」
信長は僅かに笑みを深めた。
「俺を討てる者など、この世におらぬ」
あまりにも堂々とした言葉に、呆れるべきなのか、それとも安心するべきなのか分からず、朱里は思わず苦笑してしまう。そうして息を吐き出すことで、張り詰めていた肩の力がほんの少しだけ抜けた気がした。
「信長様らしい…自信たっぷりですね」
「当たり前だ。俺を誰だと思っている」
堂々と胸を張る信長を見て、朱里の表情も和らぐ。
朱里は小さく息を吐いた。まだ胸の奥には不安が残っている。それでも、信長がこうして目の前にいて、いつもの調子で言葉を返してくれるだけで、ほんの少しだけ救われる気がした。怯えは消えない。けれど、信じようとする気持ちも確かにある。そのことがようやく少しだけ形になっていく。
「朱里、お前も共に来い」
「私も…いいのですか?」
思わず聞き返した朱里は、自分の声が少し掠れているのに気付いた。共に来いと言われて、不安な気持ちもあれど嬉しさが込み上げる。
「京へ向かう道中、何が起ころうと慌てるな。俺を信じていろ」
その一言だけで、不思議と不安な気持ちが少しずつ宥められていく。
(怖いけど…信長様を信じよう)
信長を信じる気持ちと失いたくないという恐れ、二つの感情が鬩ぎ合う中、朱里は胸元を押さえ、深く息を吸ってから、ようやく小さく頷いた。
「はい。共に参ります」