第118章 青い花の秘密
信長が朱里を伴って広間へ入ると、一人の男が平伏して待っていた。
信長は上座に着くと、鷹揚に声を掛ける。
「面を上げよ」
男がゆっくりと身を起こし、居住まいを正した瞬間、微かに甘い異国の香が漂った。
(……甘い…香の香り?)
日ノ本のものとはまた違う洗練された香りに、朱里は思わず瞬きをした。
年の頃は四十前後だろうか。墨色の着物を隙なく纏い、細身の身体には無駄がない。商人らしく柔和に微笑んでいるのに、伏せられた目の奥だけが妙に鋭かった。
男は怯むことなく真っ直ぐに信長を見据えてから、再び恭しく頭を垂れる。
「博多の島井宗伯にございます。此度は拝謁の栄を賜り、恐悦至極にございまする」
落ち着いた良く通る声で口上を述べ、深く頭を下げる宗伯を信長は上座から静かに見下ろした。
「博多の商人か」
低く落ちた声に、広間の空気がわずかに張り詰める。
信長が日頃取り引きをするのは京や堺の豪商たちだ。
南蛮との交易で栄える博多の商人がこうして直接大坂を訪れるのは珍しい。
宗伯は穏やかな笑みを崩さぬまま、信長を真っ直ぐに見て答える。
「はい。博多は明や南蛮とも繋がる商いの地。京や堺にはない珍しきものも数多ございますれば、それらを織田様にご披露致したく参上申し上げました」
言葉こそ恭しいが、その堂々たる声音には不思議と媚びがない。
普通の商人ならば、天下人を前にしてこれほど落ち着いてはいられないだろう。
(この人…信長様を全然怖がってない)
朱里は信長の隣に控えながら、そっと宗伯を見つめた。
宗伯の態度からは、信長に対して全く畏れがないわけではなく、寧ろ十分に理解しているからこそ無闇にへり下らないのだと分かる。
「して、宗伯」
信長がゆったりと脇息に凭れながら聞く。
「京や堺にはない珍しいものとは…例えば何だ?」
信長の問いかけに、宗伯の目の奥がきらりと光を帯びる。
「此度、明との交易船がもたらした品の中に面白きものがございました」
宗伯が懐から小さな箱を取り出した。
小姓が受け取り、信長の前へ恭しく運ぶ。
箱の蓋を開くと、ふわりと先程の甘い香りが広間に広がった。