第4章 心の縁-よすが-《前編》
夜になると、母の部屋は昼よりもずっと静かだった。だからこそ嫌でも聞こえてしまう、浅く、途切れがちな呼吸と胸の奥で擦れるような苦しげな音。
あんずはその音が怖くて嫌いだった。そっと布団を抜け出し、行く当てもないまま裸足で廊下をトボトボと歩く。灯りの落ちた本丸は広く、静かでひんやりしている。
「…何をしている」
後ろから聞こえた低い声にびくりと肩が跳ねた。振り返ると、廊下の影から大倶利伽羅が姿を現す。その表情はいつもより険しい。
「こんな時間にうろつくな」
叱る言葉に聞こえるけれど、声は決して強くはない。あんずは下を向きしばらく黙っていたが、小さく口を開いた。
「…よるはしずかだから」
大倶利伽羅の眉がわずかに動く。
「ママの……くるしそうないきが、よくきこえるの」
今にも泣き出しそうな顔で悲しそうにポツリと呟いた。それは、母と何度も同じ夜を過ごしてきたからこそわかる、母の変化だった。
「…」
大倶利伽羅は何も言えなくなる。叱る理由も、部屋に戻せる言葉もどれも見つからない。しばしの沈黙のあと彼は踵を返した。
「…ついてこい」