第29章 カモミールの庭で
レイに引っ張られて喫茶室を出ていく羽目になったマヤ。
イルザに声をかけることもできずに、閉店作業を終えたリックとすれ違う。
「レイモンド様、マヤ様… どちらへ?」
「オレたちはしばらく帰らねぇ。リック、イルザを頼む」
「……それは一体どういう…?」
閉店を命じられた際には全く平静に見えていたリックが、怪訝そうに口ごもった。
レイはちらりと、イルザが一人で残っている喫茶室へ通じる扉に目をやる。扉は完全に閉まっていて恐らく何を話しているかイルザには聞こえないが、それでもレイは声を落した。
「前に言っていた “カモミールの花を愛する優しい女性” はイルザなんだろう?」
「………!」
リックは明らかに動揺して、声も出ない。
「イルザはずっと独り身を通している。そして見てのとおり昔と変わらずカモミールを愛している。その意味はわかるよな…?」
「しかし…」
「しかしもクソもねぇんだよ。とにかくオレとマヤは出ていくから、イルザと話をしてやってくれ。行こう、マヤ」
「あっ、待ってレイさん」
マヤはレイと店を出ていく前に、リックに想いを告げるため振り返った。
「リックさんの淹れるカモミールティーは、優しい味がしました。イルザさんに飲ませてあげてください。紅茶はいつでも、気持ちを伝えてくれるものだから…」
「マヤ様…」
マヤの言葉に感銘を受けた様子のリックを残して、レイはマヤを急き立てる。
「イルザが一人で待っているんだ、リックに早く行ってもらわねぇと…。じゃあな、リック… 頑張れよ!」
慌ただしく出ていったレイとマヤの消えた店内で、リックは深々と頭を下げている。
そして顔を上げたリックの瞳には、もう動揺も当惑も見受けられない。
そこには何かを決意した強い光が輝いているだけだった。