第29章 カモミールの庭で
「イルザさん、泣いているのですか?」
「あら嫌だ、泣いてなんかいないわよ。ただ懐かしいだけ…」
慌てて目じりにあふれ出た涙を小指でぬぐって、イルザは話しつづける。
「この味よ、これこそが私にとっての紅茶なの。懐かしいのに飲むたびに新しい発見があるような、そんな味。こんな味と香り、リックじゃないと出せないわ。彼が屋敷に顔を見せなくなってから、何杯の紅茶を飲んだかわからないけれど、満足したことなど一度もないわ」
「そうだな、イルザの言うとおりだ。王都には美味ぇ紅茶を淹れる職人は何人もいるが、リックほどの腕前のやつはいねぇ。この完璧な味と香りを知ってしまえば、他じゃ満足できなくなるよな…」
レイも白薔薇のティーカップで紅茶を優雅に飲みながら、ため息をこぼした。
「マヤさん、ありがとう。今日ここに連れてきてくれて」
「リックさん…、イルザさんの好きな花を憶えていたんですね」
マヤの視線は、イルザの白く華奢な手の中のカモミールのティーカップに注がれている。
どうもこのまま、ただ懐かしい紅茶を飲んだだけの出来事で終わってしまいそうで。
……もちろんリックさんとイルザさんのお二人が、何も望まないならそれでいいのよ? いいのだけれど。
リックさんがカモミールのティーカップを用意した心の、イルザさんの涙の、本当の意味を知りたいから。
……だからもう少しだけ、お二人の背中を押させて。
マヤはそんな気持ちで身を乗り出したのだが。
「そうかしら…」
「……え?」
いきなり出ばなをくじかれた。
「ほら、コサージュもブローチもカモミールなんだもの。好きかどうかは誰でも一目瞭然よ」
「それはそうかもしれないですけど…」
「いや、違ぇよ」
横から飛んできた否定の声が力強くて、イルザもマヤも驚いてレイの顔を見る。
「さっきイルザが店に入ってきたとき、リックは茫然としてイルザの顔しか見ていなかった。胸元の花なんか見てねぇよ」
「そう言われたらそうですよね。私が見ていた感じでも、リックさんはイルザさんのお顔だけを見て驚いていて、その後すぐにこの部屋に案内してくれたから…。イルザさんの服装まで見ていたとは思えないわ」
「そうだろ?」
「ええ、間違いない気がします」
レイとマヤは大きくうなずき合った。