第29章 カモミールの庭で
「あぁ…」
レイは何か思い当たったような顔をしたが、何も言わずに店主の次の言葉を待つ。
「あの人とうまくいくといいですね」
「……ありがとう。でもオレ、もう振られてるから」
「……えっ! こんな超絶イケメン貴族を振るなんて、あの子何を考えてんの?」
驚きのあまり心の声がそのまま口に出てしまった店主に、レイは笑いかける。
「はは、思ってること全部言っちゃってるぜ?」
「あっ! すみません…! でも、でもありえないから。本当なんですか?」
「あぁ」
レイの翡翠色の瞳は少し哀しげに光った。
「彼女に似合う素敵なコサージュを作ってくれてありがとうな」
まだ驚きから覚めていない店主を残して、レイは静かに花屋を去っていった。
洋品店アルバの木の扉をぎいっと押して入れば、イルザの興奮した声が店内で踊っていた。
「まぁ、これも可愛いわね!」
「ええ、そうでしょう?」
イルザとマヤは花柄のハンカチを手に取って、はしゃいでいる。
「えらく楽しそうだな」
「あっ、レイさん」
振り向いたマヤの胸元にある自身の贈った白薔薇のブーケ型コサージュが、レイには輝いて見えた。
「レイ、見て! 可愛い柄のハンカチーフがいっぱい。今どきの女の子はこうやって街のショップで自分好みのを買うのね、うらやましいわ」
幼少時から屋敷に商人が出入りしているイルザには、店頭での自由な買い物が楽しくて仕方がないらしい。
「これなんかレイの飼っている猫に似ているわね?」
笑いながらイルザが差し出した大きなハンカチには、レイの愛猫アレキサンドラに似た白猫が描かれている。
「アマンダに買うわ」
イルザは上機嫌で自身にはカモミールに似た花模様のものを、アマンダには白猫の描かれたハンカチを購入した。
「マヤさん、可愛らしいお店に連れてきてくれてありがとう」
「気に入ってもらえて嬉しいです。次はどこに行きましょうか。行きたいお店はありますか?」
「……そうね、この街には劇場はあるのかしら?」
「劇場ですか…」
宝飾店とか靴屋とか、本屋とかパン屋とか、カフェとかレストランとか。そういったところをリクエストされるかと思っていたマヤは、思いがけもしない “劇場” なる言葉に戸惑ってしまった。