第29章 カモミールの庭で
イルザの言葉に従って、マヤはティーポットから二杯目の紅茶を注ぐ。もちろん自分だけではなく二人の貴婦人の分から先に。
その注ぐ手つきを目にしたイルザがつぶやいた。
「随分とお上手なのね」
「私の実家はクロルバ区にある紅茶屋なんです」
「まぁそうなの?」
それまでは積極的に発言をすることはなく、バルネフェルト公爵夫人のかげに隠れていた印象のイルザの瞳が輝いている。
「はい。王都の大きくて立派なお店に比べたら小さいですが、紅茶が大好きな父と、父の淹れる紅茶を好きな母がやっているお店です」
「お店の規模なんか関係ないと思うわ。紅茶を愛するお父上とお母上のお店だなんて、本当に素敵ね」
「ありがとうございます。ラント前侯爵夫人も紅茶がお好きなんですね?」
「ええそうね、好きだわ。いや違う… 好きになったの…」
まるで独り言のように答えたイルザの瞳は、目の前のマヤではなく、どこか遠いところを見つめている。
それは恐らく彼女の胸に宿る、遠くて甘い大切な想い。
「特に紅茶が好きだった訳ではなかったの。でも紅茶の素晴らしさを教えてくれた人がいてね…」
………!
マヤの胸がドキドキしてくる。
……もしかして、リックさんのこと…?
「……教えてくれた人… ですか」
「ええ。私たち貴族の女性は、暇さえあれば日がな一日お茶会をひらいているわ。アマンダと二人きりのときなら格式ばらないし、大人数を招待して盛大な会にすることもあるのよ。色々なお茶会があるけれど、私が気に入っていたのは専門家を呼ぶものだったわ」
「専門家…」
「そう、専門家。マヤさんのお父上のような紅茶を愛して、紅茶をなりわいにしている紅茶商よ。娘時代から屋敷に出入りしている紅茶商はいたけれど彼は特別だったわ…、嫁いだラント家で出会った彼は…」
ますますイルザの瞳は、古き良き想い出にひたっていく。
「その彼は、それまでの紅茶商とは違って色々な技を持っていたのよ。紅茶を滝のように上から流し淹れたり、火をつけてみたり、魔法のように色を変化させることだってできたわ。そんなすごい彼はこう呼ばれていたのよ、“紅茶の魔術師” って」