第29章 カモミールの庭で
それから小一時間ほど経ったころ。リヴァイの拾った辻馬車が宿の前に到着した。
酒を飲みすぎなかったマヤは、本人の申告どおりのほろ酔い加減で上機嫌だ。
二階の部屋への階段をふわふわと上りながら、おしゃべりが止まらない。
「……美味しかったなぁ。お酒もお食事もデザートも! リーゼに感謝しなくっちゃ。あっ、あのバーテンダーさんにも。ねぇ、兵長もそう思うでしょう?」
「あぁ、そうだな…。おい、気をつけろ」
千鳥足とまではいかないが、若干ふらついているマヤが階段を踏み外しそうになってリヴァイが支える。
「ふふ」
「何を笑っている」
「笑ってませんよ?」
「……いや、笑っただろ…」
そんなやり取りをしながら二階に上がれば、いくつか並んでいる扉の一つがひらいて見知った人物が出てきた。
「……帰ったのか」
「団長! お疲れ様です~」
「マヤ、ご機嫌だね。楽しかったかい?」
「はい。同期が教えてくれたお店、美味しくて最高でした!」
「そうか」
エルヴィンはにこやかに笑みを浮かべて部下の幸せにうなずいた。
「明日はバルネフェルト公爵邸だからね、寝過ごさないように」
「もちろんです。大丈夫、全然酔ってないですし、シャワーを浴びたらすぐに寝ますので安心してください!」
そう言ってびしっと敬礼したつもりが、少々ふらついている。決して “全然酔っていない” 状態ではないが、エルヴィンはそこを指摘するほど野暮ではない。
「はは、それは頼もしい。ではおやすみ」
「お先に休ませていただきます。失礼します」
マヤは数歩先にある自分が泊まる部屋の扉に向かって歩き始めたが、何かを思い出したかのように立ち止まった。
「兵長…」
振り返ってリヴァイをまっすぐに見つめる。
「ありがとうございました。おやすみなさい」
「あぁ。ゆっくり休め」
リヴァイの低い声を聞くと安心したかのようにやわらかく笑ってお辞儀をすると、マヤは部屋に消えた。
「リヴァイ、すまない」
「……は?」
「マヤとの夜を邪魔した形になったのではないかと思ってね」