第29章 カモミールの庭で
「マヤの家は紅茶屋だろう? 飲んだか?」
「あぁ」
「両親は? いきなりお前みたいなのが現れて動揺しなかったか?」
先ほどからエルヴィンのリヴァイへの二人称が、“君” から “お前” に変わっている。もう団長としてではなく、一人の友として心配しているのが伝わってきて、リヴァイの口も少しずつ軽くなっていった。
「……最初はな。だが…、できることはしてきたつもりだ」
「そうか」
リヴァイの表情と声から、エルヴィンはそれ以上何も訊く必要はないと感じた。
だから、もう一度。
繰り返しになってもいいから。
「有意義な休暇だったようで何よりだ」
「……どうも」
「リフレッシュできた分、しっかりと働けよ」
「……了解」
くるりときびすを返して、リヴァイは団長室を出ていった。
エルヴィンとのつきあいももう長い。これでこの話題は終わり、退室する頃合いといった微妙な空気も、今ではすっかり阿吽の呼吸だ。
そして。
リヴァイが出ていったあとにエルヴィンが閉められた扉を見つめて物思いにしばし耽ることも、お決まりになっていた。
「……帰る家ができたな…、リヴァイ」
思い返せばリヴァイは、入団して以来数えるほどしか調整日を取得していない。
帰る故郷がないからだ。
いや、故郷… 地下街はあるのだが、故郷というものは場所だけを故郷とは呼ばない。そこに大切な人…、家族であったり、友人であったり、仲間であったり…、そういう人がいてその場所が “大切な帰りたい故郷” になるものだから。
……リヴァイはたった一人の母親を亡くしている。
そしてかけがえのない仲間は、この調査兵団で…。
エルヴィンの脳裏にあの雨の中の壁外調査の阿鼻叫喚の地獄絵図が浮かんでくる。
悪天候。巨人の群れ。イザベルの首が転がっている。何かに憑かれたような、鬼神のような、覚醒したリヴァイ。
今でも昨日のことのように思い出すことができる。
“エルヴィン、てめぇを殺す。そのためにここにいる”
いつもいつもあの日の情景を、あのときのリヴァイの声を頭の中でリフレインすれば、エルヴィンの胸は締めつけられる。
「リヴァイ、お前にはマヤが必要だ。マヤこそお前を救う故郷になれる」
エルヴィンは誰よりもリヴァイを想っているのかもしれない。