第29章 カモミールの庭で
クロルバで一番のディーン商会の会長であるアルシス・ディーンは物腰のやわらかい、いかにも地元の名士といった人物だ。
「リヴァイ兵士長、お噂はかねがね伺っていますよ。いつかはお会いしたかったので光栄です。クロルバはいかがですか?」
「……まだ感想を言えるほど歩いてはいねぇが、いいところだろうな。マリウスとマヤとナリスが育った街なんだから」
リヴァイの言葉にハッとして、ナリスは立ちすくむ。
「はは、さすが兵士長。いい商売人になれそうだ」
怪訝な顔をする三人を、アルシスは順に見渡して。
「いい商売をするには、物事の本質を見極める力が必要ですからね。そして少しばかりの愛想と」
「……愛想なんかねぇが?」
アルシスはにっこりと笑った。
「ありますよ…。さて」
その笑顔を自身の長男へ向けて。
「二人の時間をこれ以上盗まないように…。いいね?」
「………」
ナリスは下を向いていたが顔を上げたときにはもう憑き物でも落ちたかのように、スッキリとした美貌を取り戻していた。
「マヤ、悪かった…。君にはなんの咎もない。マリウスと一緒にいてくれてありがとう。ずっと幸せだったと思う、弟は…」
「私もマリウスと幼馴染みで良かったです」
「……そうか。マリウスに聞かせたかったよ」
ナリスの肩にぽんと手を置くアルシス。
「聞いているさ」
「父さん…」
しばらくのあいだアルシスは、最愛の弟を失い傷ついた息子を深く慈愛のまなざしで見つめる。
そして、くるりと振り向いた。
「マヤ、飼い葉がいるだろう?」
「あっ、はい」
「あとで届けさせよう」
「ありがとうございます。いつもすみません」
「いいんだよ。さぁ、兵士長にこの街を見せてあげてくれ。この素晴らしいクロルバを」
「はい…!」
アルシスとナリスのディーン父子に見送られて、リヴァイとマヤは歩き出す。
あてもなく、どこかへ。
「アルテミスの飼い葉か…」
「ええ。うちには馬がいないから、分けてくださるんです」
「……そうか」
ただクロルバを、クロルバの街と空気を、肌で感じるために。