第29章 カモミールの庭で
無事に宿を取りクロルバを案内しようとした矢先に、ディーン商会の敷地の裏木戸から一人の男が出てきた。
「マヤ、おかえり」
「ナリスさん…!」
ナリスと呼ばれた男はリヴァイくらいの年齢で、さらさらとした黒い長髪が印象的だ。
「ナダルがさっき、駆けこんできたぞ。リヴァイ兵士長が突然やってきたんだが、どうすればいいかってな…」
ナリスはあまり友好的とはいえない目つきでリヴァイを見ている。マヤは慌てて、二人を紹介した。
「あぁ、そうです。こちらはリヴァイ兵長です。兵長、こちらの方はナリスさん…、マリウスのお兄さんです」
リヴァイをじろじろと見ていたナリスだったが、急ににっこりと笑った。
「リヴァイ兵士長、ようこそクロルバへ。マリウスが調査兵団の話をするときは、いつもあなたの名前があがっていましたよ。とんでもなく強いってね」
「……マリウスはいい兵士だった」
「ええ、そうでしょうとも。自慢の弟でした。勉学ができ、運動も得意で、いつも皆の中心にいる太陽のような男でした…。父も私も弟が可愛いあまりに、少し自由にさせすぎたのかもしれません。弟には叶わぬ恋などさっさとあきらめさせて、このクロルバで家業の手伝いをさせれば良かったのです」
ナリスは変わらず笑顔でいるのに、その目は笑っていなかった。
殉職したマリウスの話になって、マヤの胸はズキンと痛む。
そしてナリスの言葉…。
マリウスの死後に彼の自身への想いを知ったマヤ。今はわかる、その叶わぬ恋とやらが自身への想いだということが。
「ナリスさん、私のせいで…」
マヤは何をどう言えばいいのかわからなかったが、謝らなければならない気持ちに襲われる。
「おや? 謝るつもりかな? 何を? 今さら? マヤを追いかけて調査兵団に入ったことかな? マリウスの成績なら憲兵団だったのに。あぁ、そうではないね。そもそも代々商人なんだ、うちは。訓練兵団に行く必要なんかこれっぽっちもなかったんだよ。王都の商業学校ならわかるけどね。なのにどうして?」
ナリスはもう、作り笑いをやめた。
「子供のころから好きで好きでたまらなかった君が、何を思ったのか知らないが、調査兵になるなんて狂った思想にとらわれてしまったからだ!」