第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
何も纏っていない体は、秋の終わりを感じさせる季節には室内であっても寒さを感じる。
それでもぴたりと身を寄せて抱き付いている蛍が温かく、心と共に隙間風さえ感じない。
そのまま迷わず脱衣所へと向かえば、目的のものはすぐに見つかった。
「あったぞ。これだな」
「っうん」
脱衣所で乱れる前に、蛍の手が置いていたのか。
着替えを置く棚の上に転がっていた簪を手渡せば、ほっとしたように蛍の顔に笑顔が咲いた。
「よかった…」
嬉しそうに握った簪を見つめる蛍の顔を、そっと伺う。
どれだけその簪が大切なものかは、以前に聞いた。
世界に一つだけのものだと告げたその言葉通りに、数人の柱の手により作り上げられた無二のものだ。
蛍にとってそれ以上のものなどないだろう。
「……」
だからこそ言いようのない感情が生まれてしまう。
「杏寿郎?」
じっと向けられる視線に気付いた蛍が顔を上げる。
頸を傾げるその顔を前に、杏寿郎は一度噤んだ口を静かに開いた。
「君は物欲がないものだと思っていたが…少し違ったようだ。それだけ物を大切にする人だっただけだな」
「え?…まぁ…これは特に大切なものだから…」
「うむ」
「でも物欲がない訳じゃないよ? 夜の神幸祭で皆でお揃いのコップを買ったでしょ。あれ、煉獄家で並んでいるところが見たくて買ったものだし」
「あれか。しかし蛍自身のものだけ割れてしまった時、然程慌ててもいなかっただろう」
「あー…まぁ…自分のはおまけみたいなものだし…」
「俺や千寿郎にはおまけではなかった。だからとても残念だったな」
「あはは…そっか。ありがとう」
苦笑いに近い笑みを見せる蛍は、本当に気にしていないように見える。
そこに不満を憶えないと言ったら嘘だ。
杏寿郎は少しだけ二つ割れの眉尻を下げると、諦めるように脱衣所に背を向けた。
「杏寿郎?」
「いいんだ。君の優先事項を無理矢理変える気はない。君には君の大切なものがあるのだろうし」
「…えっと」