第20章 きみにより 思ひならひぬ 世の中の
すぐには反応できなかった。
見開いた双眸を尚も開眼したまま、杏寿郎は口角を上げることも下げることもせずに線を結び続けた。
「…ごめんなさい…」
俯く蛍の口元から、零れ落ちるか細い声。
微かに震えているようにも聞こえたそれが、あの時見た光景と重なる。
両手で顔を覆い、槇寿郎に謝罪していた蛍の姿と。
「…なぜ……何故、君が謝るんだ」
意識などせず、体は動いていた。
唖然と前を見据えたまま、笑顔を取り繕うことはできなかった。
それでも両腕は目の前の小さくも見える蛍の体を、壊れ物を扱うかのように抱きしめる。
震える体は、すんなりと腕の中に埋まった。
「杏寿郎を、哀しませて、しまうから…」
(俺、を?)
子が産めない。
未来を繋げない。
その現実を突き付けられたのは蛍の体だ。
(違う。俺じゃない。哀しむべきは)
蛍との未来を強く願っていた。
その未来を耀哉に祝われ、千寿郎に応援され、あの槇寿郎にさえも容認の一歩を踏み出して貰えた。
困難はあれど、諦めることなく望み続けてさえいれば、きっと掴むことができる。
そう信じていた。
だからこそ頭に重い鉛を喰らったような衝撃だった。
どんなに心を、体を、ひとつにしても。二人の愛の証であるものは何も残せない。
「……いつから…気付いて、いたんだ…?」
「…杏寿郎の、家族になりたいって願った後、から」
初めて蛍が、涙ながらに自分との未来を望んだ日。
とても綺麗な涙を流して微笑んでくれた、あの節分の行事を終えた夜のことだ。
(あの頃から──)
あんなにも幸せな夜を共にした後に、こんなにも重い現実を抱えていたのかと思うと「何故」と問い質しそうになった。
何故もっと早く言ってくれなかった。
何故もっと早く頼ってくれなかった。
(…馬鹿か)
ぎり、と奥歯を食い縛る。
二人の未来を望むが故に、蛍との子が欲しいと告げた。
果たして鬼が人の子を産めるのか。それすらも未知数ではあったが、願うことに罪はないはずだと。
(言えるはずがないだろう)
それが蛍の足枷となっていたとも知らずに。