第8章 strategie⑧
部屋の中には小さな旅行用のカバンが一つ置いてあるだけで、それ以外は生活感が全く感じられなかった。
メシ食ってるのやろか。
しばらく二人して落ち着きがないように部屋の中で立っていたので、ヒロカは、
「ソファ、座って。」
と促した。
「お、おう。」
俺が腰掛けると、そっとソファの前の机に灰皿を置いてくれた。
俺は軽く会釈し、そんなに吸いたくなかったがなんとなくタバコを咥える。
ヒロカも後を追うようにタバコを取り出した。
二人で何も言葉を交わさず灰色の煙だけが部屋中に立ち込める。
たくさん誤解を解かなきゃいけないことがあるのに
たくさんヒロカに聞きたいことがあるのに
たくさん話さなきゃいけないことがあるのに
何が一番大切なことか分からない。
もしかしたら全てどうでも良いことだったのかもしれない。
「…舞台…良かったで。」
苦し紛れにそんなことをポツリと呟く。
「そんなこと…ない…よ。」
急に俺が喋り出すものだから、ヒロカはびっくりしたようにそう答えた。
「なんか前もこんなんあったな。」
「え?」
「初めて俺がスズナリで舞台見たとき。タクシーで拉致ったときに舞台良かったで。って言ったら、そんなことないってヒロカ言っとった。」
ヒロカは思い出したのか、あっ!っという顔をして、それから照れたように笑う。
「そうだね。」
「ほんまに良かったんやで。」
「うん、ありがとう。」
ヒロカに社交辞令だと思われたのか、軽くそう流された。
いつもそう。
俺の本当の気持ちはヒロカに伝わったことがない。
ヒロカの本当の気持ちも聞いたことがない。
お互い好き同士なはずなのに、お互いいつも片思い。
ちゃんと伝えなきゃいつまでたってもすれ違いのまま。