第1章 事実は小説よりも奇なり。だいぶ。
……――眠れない。
ベッドの中、何度目か知れない寝返りを打つ。
寝室には優しい夜の闇と静寂が満ちているのに、とろとろと忍び寄る眠気をあたしの脳ミソは必死の形相で打ち払うから、お陰で今夜も眠れそうにない。
ため息を吐いて、ベッドから抜け出した。裸足にスリッパを突っ掛ければ、夜気に冷やされたパイル地がひんやりと素肌にしみる。
四月のはじめとはいえ、東北の夜はいまだ肌寒い。
脱ぎ捨てたままにしてあったカーディガンに袖を通しながら、寝室と隣り合うLDKへと滑り込む。古いタイプのスイッチで電気を点ければ、オレンジ色の灯りがリビングを照らした。取々の調度が揃えられた少し猥雑な印象を受ける空間には、立派な柱時計の秒針が刻むカチコチと云う音だけが何処かうつろに響いている――……
父方の祖父が遺してくれたこの小さな家に、今はあたしがひとりで暮らしていた。
リビングに接するペニンシュラ型のキッチンでケトルをコンロに掛けてから、手狭なパントリーを開ける。
さて、何を淹れるか。眠れないのだから、カフェインレスのルイボスティーか、鎮静効果のあるハーブティーにすべきだろう。となるとマジョラムか、ラベンダーか。少し手間を掛けて、アンジェリカにオレンジをブレンドしても良いかも知れない――……
(……――コーヒー、飲みてえな…………)
パントリーに並べた乾燥ハーブ入りのポットを眺めながら、ひとりごちる。
豆から挽いた…………なんて贅沢は言わない。安いペーパードリップのコーヒーで良い。寝付けない夜だからこそ、あの香りに恋しさを覚えた。
(まあ、飲む訳にいかねえけど…………不眠悪化するし…………
…………アンジェリカとオレンジにハチミツ入れるか…………)
決心して、ハーブ入りのポットに手を伸ばす。
その時だった。
視界の隅で、LDKと玄関ホールを隔てる扉のノブが動いた。デッドボルトがひっこむカチッという音が聞こえる。
ぎょっとして、扉の方へ身体ごと向き直った。
すわ押し込みか、熊かと、不吉な予感が凄まじい速度で思考を巡って、身が竦む。
足を床に縫い付けられたかのように動けないでいるあたしの目の前で、扉が開いていく――……
そして。
其処に姿をあらわした見覚えのある人影に、あたしは大いに自分の正気を疑った。