第8章 買い出し
指先はまだ、みかの顎に触れたままだった
離すタイミングを失ったまま
みかは何も言わない
でも、逃げていない
サンジはそこでようやく、ほんの少しだけ視線を上げた
「……なあ」
低い声
それ以上は続かない
みかの呼吸が一瞬だけ止まる
サンジの手が、顎から離れる
代わりに、頬の横に触れるだけに変わる
軽く
そして、もう一度だけ
今度は逃がさない距離で
短く、確かめるように触れる
離れるのが少しだけ遅い
サンジはそこで、やっと息を吐く
「……ほんとに、やべェな」
今度は笑っていない。
みかは何も言わない
ただ、目線だけが少しだけ揺れている
「……悪いことしてるわけじゃねェのにな」
低い声。
言いながら、自分で少しだけ笑う
でもすぐに消える
みかは一瞬だけ視線を揺らす
そして、小さく息を吸ってから——
「……まだ雨すごいね」
サンジはすぐには返さない
タバコの煙がゆっくり上に逃げていく
サンジは視線を少しだけ外しながら、短く呟く
「……そうだな」
みかは視線を落とさないまま、ほんの少しだけ息を吐く
「……離れられないね」
サンジはそこでようやく、タバコを指に挟んだまま何も言わずに視線を外す
距離が戻るわけじゃない。
ただ一度だけ、呼吸を整えるように。
空気は静かに落ち着いていくのに、
二人の間だけはまだ熱を残したままだった。