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蝕に攫われた春 【十二国記 延王】

第1章 海客の少女


虚ろな瞳をした美しい少女のは、部屋から宵闇を見つめていた。


彼女は「海客」だった。


海客――虚海を越えてやってくる異邦人。
本来なら役所に保護されるはずの存在。


荒れ狂う虚海に呑まれ、雁州国に流れ着いた彼女を拾い上げたのは、妓楼の女主人だった。



「あの……ここは、どこですか?」



震える声で尋ねたに、女主人は品定めするように目を細めた。



『海客か……何を言っているのかわからないね。……だが、お前の居場所はここだよ』



返ってきたのは、全く意味の結びつかない異国の響き。
は必死に食い下がる。



「私は、日本から来ました。……帰りたいんです。家族の元にっ」



縋り付くように言葉を重ねるが、女主人は面倒そうにその手を振り払うと、の顎を持ち上げた。



『静かにしな。だが、お前の顔はとても美しい……高く売れそうだ』



何を言っているのかは分からない。
けれど、その瞳に宿る人間を「商品」としてしか見ていない冷酷な光だけは、嫌というほど伝わってきた。




言葉は通じずとも酒を注ぐ所作だけは、叩かれる痛みと共に体に刻み込まれた。


客たちの下卑た笑い声に、何を言われているのかも分からぬまま、はただ人形のように座り、器に酒を満たす日々が続く。



ある夜、決定的な破滅が訪れた。
酒の匂いをプンプンとさせた男が彼女の細い手首を掴み、奥の寝所へと引きずり込もうとしたのだ。



「やめて! 放して!」



必死に首を振り、男の胸を押し戻す。
だが、拒絶の言葉は男にはただの心地よい囀りにしか聞こえない。
男は嘲笑いながら、彼女の髪を掴んで畳に押し伏せた。



『ハハッ、騒ぐな。お前のような美しい娘は、可愛がりがいがある』


「嫌っ……! 助けて、誰か!」



叫びは壁を隔てた廊下にまで響いたはずだった。
だが、聞こえてくるのは見守るような冷笑と、女主人の冷たい舌打ちだけだった。



『馬鹿な娘だ。これがお前の仕事なんだよ』



女主人の突き放すような声が、扉越しに聞こえた気がした。


逃げ場などどこにもない。



激痛と、男の重み、獣のような吐息。


は天井の梁を見つめながら、ただ身体を強張らせることしかできなかった。






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